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【シリーズ戦国武将】 真田幸村、悲しき兄との別れとこねつけ餅

人生で避けて通れない辛い出来事の1つに別れがあります。

恋人との別れ、同級生との別れ、死別のよる別れ…、

人は生きることとは別れの連続といっても過言ではないかもしれません。

別れは悲しいものだからこそ一緒にいる時間は何よりも輝くし、

一緒にいた時の想い出や記憶はかけがえのない物になるのだと思います。

今日は戦国武将との悲しい別れとそれにまつわる食のエピソードをひとつ、紹介したいと思います。

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真田幸村

戦国最後の大戦、大阪の陣。

真田幸村は豊臣側、幸村の兄信之は徳川側、と兄弟同士がそれぞれ敵対する陣に所属していました。

これは徳川が勝っても豊臣が勝っても真田家は存続できる、という父真田晶幸の計略によるものでした。

「お家存続のためとはいえ、兄弟同士が戦うことになるかもしれないのに…」と自分なんかは思ってしまうわけですが

そもそも現代社会の価値観で死ぬか生きるかの戦国時代を計ることは出来ません。

話を戻すと、この「大伏の別れ」と言われる決断によって敵味方に分かれることになった真田兄弟ですが、出来れば兄弟とは戦いたくないと互いに思っていました。

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大阪、夏の陣

幸い兄弟同士で直接刃を交えることもなく、戦は徳川側の勝利に終わろうとしていましたが兄弟同士の戦いは回避できたものの、豊臣軍に属する幸村には後がありません。

このまま豊臣のために戦い、そして果てる運命は決して避けられないものでした。

覚悟を決めた幸村は最後に兄信之の屋敷を密かに訪れ二人は別れの盃を交わします。

互いに今生の別れであることは察しながら酒を飲む2人…。

そして信之は最後の餞別に冷えた米を餅にし、それに味噌を塗り幸村に渡します。

その餅こそ、当時から長野(信濃)で食べられていた「こねつけ餅」でした。

そしてその数日後、幸村は徳川へ大特攻を仕掛け戦場で命を落としました。

最後に幸村がどんな気持ちでこの餅を食したのか…想像もつきません。

ひょっとしたら少年時代の兄との楽しい記憶を思い出していたかもしれませんね。

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信濃(今の長野県)は内陸にあり水は豊富でなかったので米は貴重な食べ物でした。

なので米に小麦粉を足したものを焼くことで腹の足しにしていたのが起源と言われています。

そんなこねつけ餅ですが、長野県松代市にある真田邸や真田宝物館の近くで商品化されたものが売られています。

もし上田城などに行った際は足を延ばしてみてはいかがでしょうか?

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また家で作る場合も作り方は非常にシンプルです。

1、米と小麦を半々混ぜる 

2、クルミ味噌を塗る

(昔は餅の表面に塗っていましたが最近はおにぎりの具のように餅の中に餅を入れるのがスタンダードです)

3、家庭用蒸し機で蒸す(電子レンジだとムラが出来てしまいます)

4、薄く油を敷いたフライパンで餅の表面を色が変わる程度に焼く

これなら家で作れるし、夜食やおやつにもピッタリですね。

お餅を食べながら家のため、主君のため、命も兄との別れもいとわず信念を貫き戦った男…。

そんな幸村の気持ちを想像してみるのも「オツ」かもしれません。

Written by tori

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【シリーズ戦国武将】山内一豊と鰹のたたき

 

「日本人」というものを考えた時、あなたはどんな印象を抱きますか?

「和を尊ぶ」 「誠実」 「卑屈なところがある」 「勤勉」 「本音と建て前を使い分ける」 

ポジティブな面もネガティブな面もあると思います。

私が日本人に対して抱いている印象は

「食事のことになると人が変わる、その際には詭弁も辞さない」  これに尽きると思います。

 

昔、日本では仏教の教えで「4つ足の獣を食べると自分も獣になる」 

という理由で獣肉を禁止する風潮がありました。

しかし当時の人はそれでもウサギを食べたくて

「ウサギっているじゃないですか。あれ、4つ足の獣じゃなくて鳥なんですよ。

あの耳に生えてるのは羽根です、だから食べてもいいですよね…」

 

と小学生のような言い訳をしてウサギを食べていました。

それに起因してか今でもウサギは1羽、2羽と数えます。

本人たちは必死でしょうが、言い訳している当時の人のことを思うと頬が緩んでしまいます。

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↑ 「え?ボクって鳥だったんですか…?」

 

今回、そんな思わず頬が緩んでしまうような食事にまつわる言い訳(?)エピソードを耳にしたので紹介したいと思います。

 

山内一豊という武将がいます。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ら三英傑に仕えた土佐の大名です。

そして土佐では鰹を刺身で食べる風習がありました。

ところが鰹は傷みやすい魚で、現代と違って戦国時代は有効な保存手段も無い。

それなのに皆が刺身で食べるので、食中毒による死者がたびたび出ていたとか。

 

そこで山内一豊は「鰹は焼いて食べるように」とお触れを出しました。

お触れに逆らうと厳罰が待っています。

しかしそれでも刺身は生で食べたい土佐っ子、どうしたかと言うと

魚の表面をさっと焙って「ちゃんと焼きました」と言って半生の魚を食べていたようです。

他にも諸説ありますがこれが後に鰹のタタキとなったと言われています。

 

なんとなく修学旅行で夜、先生に隠れてコソコソ起きているような悪戯好きな男子生徒を想像してしまいます。

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↑領民のことを考えてお触れを出したのに…。

 

前の記事(信長、秀吉、家康に学ぶ現代を生き抜くためのサバイバル戦国飯)で紹介した関ヶ原の時の徳川家康もそうですが、この当時の上に立つ能力のある大名は特出して食材に対する正確な知識を持ち合わせていますね。

 

そんな鰹ですが、その身体にはとても優れた栄養が豊富に含まれています。

鰹の背と腹の間にある赤黒い身の部分にはパントテン酸という抗ストレス作用のある栄養が含まれています。

パントテン酸は熱に弱い性質をもっているので当時の土佐の人たちによる

なるべく火が通らない食べ方は実は理に適っていたんですね。

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また鰹は魚類トップクラスのビタミンB12と鉄分を持つ魚です。

ビタミンB12は赤血球の生成を助ける働きがあり、神経機能を正常に保つ効能があります。

またビタミンB12と鉄分はともに貧血を予防する効果があります。

また疲労回復効果と肝臓の機能を高める働きがあるタウリンも豊富に含まれています。

さらにカルシウムの吸収を促して骨を強くするビタミンD、抗酸化作用のあるビタミンA、

余分な塩分を排出するカリウム、骨を形成するマグネシウム…挙げていったらキリがありません。

 

戻り鰹の旬はまだ少し先ですが、今年の秋は積極的に栄養を意識して

たくさん鰹を食べて健康な生活を送っていきたいですね。

 

ちなみに先日twitterでこんな書き込みを見つけました。

 

『ヒンドゥー教なので牛は食べれませんが、私は考えました。ネパールにいる牛は神様だけど日本にいる牛は神様じゃないと。だから毎日 牛角に行っています。牛角最高!今、貯めたバイト代で神戸牛を1キロ買おうか迷ってます。日本の牛、ハンパないっす。』  ネパール出身男性より

 

食に貪欲なのは日本人だけじゃありませんでした(笑)

Written by tori

【戦国武将シリーズ】信長、秀吉、家康に学ぶ現代を生き抜くためのサバイバル戦国飯

鳴かぬなら殺してしまえホトトギス、

鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス、

鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス、

言うまでもなく戦国三大武将の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の性格を言い当てた格言です。

短い言葉の中で3人のキャラクターが的確に言い当てた名フレーズだと思います。

 

そんなキャラクター=人間の礎になっているものは何よりも食事であると思います。

当時の3人の食事、好物について今日は迫っていきたいと思います。

 

そんなキャラクター=人間の礎になっているものは何よりも食事であると思います。

当時の3人の食事、好物について今日は迫っていきたいと思います。

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信長は塩辛いものを好んで食べました。

これは現代人に比べて運動量が多いので身体が塩分を必要としていたことに起因し、

薄味の料理を出すと「水の味がする!」と言って気分を悪くしていたようです。

おかずに塩辛いものを好んだ半面、白米にお湯をかけただけの飯(ミソや漬物を添える場合もある)をよく食べていました。

これは食事に時間をかけたくない、と即効性を追求した結果で信長の性格がよく表れています。

もしインスタントお茶漬けがこの時代にあったらきっと毎日食べていたんじゃないでしょうか(笑)

 

また、非常に甘党だったという考察もあり、干し柿が好物だったとも。

信長と言えば宣教師から金平糖をもらったエピソードが有名ですが、きっとそれも美味しく食べたんだと思います。

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↑このシンプルさこそ信長の神髄?

 

続いて家康です。家康の強みは長寿であったこと、時期をじっと待つ辛抱強さにあります。

実際に家康は健康オタクな一面があり食事にはかなり気を遣っていたようです。

家康は粗食と知りながらも麦飯を好んで食べていました。

麦は繊維質が多く、腸内善玉菌を増やし、コレステロール・発がん物質を除去し、

さらにビタミンの合成を手伝う働きがある健康食品です。

家康は麦を食べ部下に質素倹約する領主をアピールしつつ、実はちゃっかり健康に気遣っていたのでしょう。

食事にまで表裏があるのが狸親父と言われた家康らしいと思うのは私だけでしょうか。

家康が食べ物に関する知識が豊富であったことを裏付けるエピソードは他にもあります。

関ケ原の戦いで、土砂降りの雨で火が使えず生米を食べねばならない事態になった際、

家康は「消化不良を起こすからと、コメを水に良く浸し水を完全に切ってから食べるように」と命令しました。

一方で石田三成は敗走時に空腹に耐えかねて生米を食し、腹を下して動けなくなったところを取り押さえられたと言われています。

 

それだけ食事に気を付けながら鯛のテンプラだけは我慢出来なかったところも家康の面白い所だと思います。

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↑我慢出来なくても仕方ない!?

 

さて最後は秀吉です、秀吉が好んで食べたのが味噌味の焼き蛸。

蛸のタウリンは脳機能の活性化、疲労回復に効果があり、きっと秀吉の精力的な行動、

頭脳労働の助けになったであろうことは想像に難くありません。

 

また彼の強さでもあり個性であるのが秀吉の「人たらし」の能力です。

家康の忠臣、石川数正もそのカリスマに惹かれたのか家康の元を去り豊臣に下っています。

秀吉はいつもニコニコしていて人を惹きつける何かがあった、と当時も多くの証言が上がっています。

 

そんな人たらしの秘密には彼の出生が関係していると言われています。

貧乏だった秀吉はドジョウや豆味噌といったものを食べていました。

それらの食材は幸福感をもたらす脳内物質「セロトニン」の主原料トリプトファンを多く含んでいます。

セロトニンのおかげで気持ちが前向きになっている秀吉はいつもニコニコしていて人にも好かれ、人材も寄ってくる。

その上、ストレスにも強く、柔軟なアイデアも湯水のように出て来たことでしょう。

これが秀吉というキャラクターの強みであったことは言うまでもありません。

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↑ドジョウ鍋。トリプトファンがグツグツです

 

現代でトリプトファンが入ったもの食材醤油や納豆などの大豆製品、

洋食ならヨーグルトやチーズ、バナナと言われています。

セロトニンは朝の目覚めをスッキリさせる効果もあると言われているので個人的には

それだけでも大いに摂取する価値があります。

 

仕事、家事、勉強…、現代社会を生きる我々は彼らとは違った形である種の戦いを強いられています。

そんな現代の戦場を生き抜くために運動量が多い日は塩分を多目にとり、麦飯を食べセロトニンの多い食事を摂る。

そうすれば天下を取った武将たちのように我々も成功を収めることが出来るのではないでしょうか?

Written by tori

【シリーズ戦国武将】グルメ武将・伊達政宗にまつわる料理と面白エピソード

先日、当ブログで伊達政宗が料理好きでいくつかの料理を考案し

将軍にもその料理の腕を振る舞った、というどちらかと言えば

政宗の理知的な一面がうかがえる話を紹介しました。【シリーズ戦国武将】料理上手でグルメな武将・伊達政宗の好物を探ってみた

その一方で政宗にはエキセントリックな一面もあったようで

まずは1つ、食事にまつわる変わったエピソードを紹介したいと思います。

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ある日、豊臣秀吉、徳川家康、前田利家、そして伊達政宗の4人が

諸大名に茶の振る舞いをすることになりました。

誰がどの大名を持て成すかはくじで決め,料理の内容や招待客は直前まで知らされない趣向でした。

政宗が持て成すことになったのは佐竹義宣、浅野長政、加藤清正、上杉景勝の4人。

よりによって政宗と仲の悪い大名ベスト5に必ず入るような連中でした。

「これは…、嫌がらせをしろということだな!」

普通の人はそう考えません。しかし独眼竜は伊達じゃない。

そこで政宗がふと台所を見ると、料理人が季節の野菜のお吸い物を作っていました。

それを見てさっそく何かを思いつく政宗。

当時のお茶の席ではコース料理が振舞われるのが普通でした。

その日もさっそく4人の大名の前に1品目の先ほどのお吸い物が置かれました。

ところがお吸い物が置かれるや否や、すぐに次の料理がやってきます。

4人は慌ててお吸い物を口にします。その時です、4人が不意に吸った椀から口を放し唇を押さえはじめます。

彼らの唇は、そろって真赤に腫れ上がっていました。

政宗は彼らが口にするお吸い物を必要以上にぐつぐつ煮立て熱々の汁にして彼らに差し出したのです。

その後に出された料理やお酒も、4人は唇が痛くて食べられなかったそうです。

政宗はそれを見て会心のガッツポーズをしたと記述には残っているとかいないとか…。

ちなみに後でこの話を聞いた秀吉は腹を抱えて大笑いしたそうです。

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↑熱々のお吸い物、4人の気持ちを思うと…

他にもゲテモノ料理は美味しいからとネズミの味噌汁を作って死にかけたり、

二代目将軍秀忠を自邸に招き食事を出そうとした所で、将軍の側近に「毒見をしなければ出せない」と言われ

「毒殺は過去に考えたけどやるならそんな卑怯な手は使わず、戦争しとるわ!」と

天下の大将軍の目の前で本人に聞こえるように言い放ち大ヒンシュクを買ったりと面白エピソードには事欠きません。

ちなみにそんな徳川将軍に献上した料理で政宗お気に入りの一品が「白鳥の塩漬け」だと言われています。

どんな味がするのか想像もつきませんね。

(ジビエの白鳥食レポを見る限りでは普通の鳥と味は変わらないと書いてはありましたが…)

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↑どんな味が…?

ちなみに料理作りに精を出したのは主に晩年のことでそのグルメっぷりがたたって肥満に悩まされたという伝承もあります。

そのため健康に気を遣い1日3本のタバコを吸っていた(当時はタバコは薬扱い)そうです。

江戸時代にニコチンがあったのか、本当に薬としての効能はあったのか、色々と気になる話ですね。

前回の記事の最後、政宗の格言を紹介しましたが、ほかにも政宗はこんな料理格言を残しています

「朝夕の食事うまからずともほめて食うべし」

食事が美味しいと思えなくても美味い美味いと言って食べれば作った人間も気分がいいし

細かいことで気に病むこともなく気持ちも健やかでいられる、という意味だと思っています。

これは食事に限らず人生においてもあてはまることなのではないか、と思います。

1日3回、食事をしていて時には決して美味とは言えない食事にありつく機会もあると思います。

そんな時でも気持ちは前を向いていつも笑っている、そんな気概を持っていきたいですね。

Written by tori

【シリーズ戦国武将】料理上手でグルメな武将・伊達政宗の好物を探ってみた

【シリーズ戦国武将】料理上手でグルメな武将・伊達政宗の好物を探ってみた

皆さんはどんな食べ物がお好きですか?ラーメンでしょうか。それともたこ焼き。もしくは焼肉でしょうか。
現代人である私達にも好物があるように、戦国時代の武将達にも好きな食べ物がありました。徳川家康は天ぷら好きで有名であり、信長は濃い味付けの料理を好んで食べておりました。
今回紹介する伊達政宗も美味しものが大好きで、実は自ら料理をするくらい好きでした。彼の料理の腕前は達人レベルに達していたそうです。

伊達政宗が調理を始めたのは兵糧研究がきっかけ

伊達政宗は自ら台所に立ってトントンと見事な包丁さばきで料理を作っていたそうですが、彼が料理をしようとしたきっかけは、戦における生命線である兵糧を研究しようとしたことがきっかけでした。
政宗が研究して開発した兵糧は現在にも残っており、仙台みそ凍み豆腐は彼が作って開発した料理であるとの言い伝えが残っております。

【シリーズ戦国武将】料理上手でグルメな武将・伊達政宗の好物を探ってみた

将軍様からも認められた料理の腕前

政宗はこうして兵糧の研究として料理を行っていたのですが、だんだんと料理にはまっていきます。ある時、徳川家三代将軍徳川家光をもてなさなければならなくなった政宗は、自らの料理で将軍をもてなすと公言。包丁を持って山海珍味を慣れた手つきで捌き、豪華なおもてなし料理を完成させます。
将軍家光は政宗お手製の料理を食べると大いに喜び、その料理の手腕を褒めたたえたそうです。また仙台名物の一つであるずんだもちも彼が自ら作った料理の一つと言われていて、現在にも残る政宗考案料理の一つです。

【シリーズ戦国武将】料理上手でグルメな武将・伊達政宗の好物を探ってみた

受験中の食事の参考にしたい!北条氏綱は○○○で戦に勝利?戦国時代の験担ぎ

受験中の食事の参考にしたい!北条氏綱はカツオで戦に勝利?戦国時代の験担ぎ

毎日の受験勉強お疲れ様です!
受験戦争を勝ち抜くために、縁起の良い語呂の食べ物を食べて試験に臨む受験生もいらっしゃるのではないでしょうか?
そんなふうに縁起のいい語呂合わせで験担ぎをしたのは、まさに命をかけた戦争をしていた戦国時代も同じだったのです。

受験中の食事の参考にしたい!北条氏綱はカツオで戦に勝利?戦国時代の験担ぎ

北条氏綱が喜んだ「勝つ魚」

天文6(1537)年の夏。相模国(神奈川県)小田原の近海では多くの釣り船がカツオを釣るために海士が漁に出ていました。それを聞いた北条氏綱は、海士の漁を見物するために、舟を出したのです。
酒を飲みながら楽しんでいたところに、1匹のカツオが氏綱の船へ飛び入ります。氏綱はこれを喜び「勝負にかつうお」だと言い、すぐに酒の肴にしました。
同じ年の7月上旬。氏綱は武蔵国(現在の東京都・埼玉県)を治める上杉五郎朝定を攻めるために出陣すると、15日夜に戦に勝利。武蔵国を治めるようになったのです。
その頃の北条氏は全方位に敵があり、戦が止むことがない毎日でした。氏綱が賞味したカツオは「勝負にかつうお」ともてはやされるようになり、北条家の侍達は常にそれを準備して、戦場に出る時の酒の肴にはカツオが欠かせないものになりました。

この話は、寛永18(1641)に三浦浄心が書いた『北条五代記』に載っています。北条氏綱は、大河ドラマ真田丸で登場した北条氏政の祖父にあたる人物です。

受験中の食事の参考にしたい!北条氏綱はカツオで戦に勝利?戦国時代の験担ぎ

カツオハプニングを歴史からみると

この頃の北条氏はまだ安定した勢力ではなく、上杉氏をはじめ、昔から関東を治めていた一族と激しい戦闘を繰り返していました。
そしてこの天文6年。実は4月に上杉朝定の父が病死し、代替わりしたばかりだったのです。家中も何かと変化し、ごたつくこともあったでしょう。百戦錬磨の氏綱がそれを見逃すはずがありません。朝定を攻めるための準備を着々と進めていたのではないでしょうか。

そんな時に、船に飛び込んできたカツオ。氏綱にとっても良い知らせと受け取り喜んだのはもちろんですが、それをアピールすることで家臣を奮い立たせようとしたのかもしれません。

この時の験を担いで後の北条氏でも出陣でカツオが用意されるようになったということは、この時の勝利が後の世にも語り伝えられる大きな節目となる勝利だったのでしょう。またカツオは当時の小田原でも獲れるので、北条氏にとっては手に入りやすかったということもあるかと思います。

受験中の食事の参考にしたい!北条氏綱はカツオで戦に勝利?戦国時代の験担ぎ

語呂合わせに願いをこめた戦国時代

北条氏がカツオを験担ぎで用いたように、日本では古くから縁起が良い語呂を儀式にとりいれています。
戦国時代に合戦へ出陣するときには、大将と家臣達で戦勝祈願のために「三献の儀式」が行われていました。この儀式は「打鮑(うちあわび)」「勝栗(かちぐり)」「昆布」を食べ、敵に「打ち」「勝ち」「喜ぶ」ことを願う儀式です。
見事に勝利して凱旋した時には、食べる順序が変わります。「敵に勝ち(勝栗)、打ち(打ち鮑)、よろこぶ(昆布)」という順序で食べるのです。

受験中の食事の参考にしたい!北条氏綱はカツオで戦に勝利?戦国時代の験担ぎ

日本では古来より「言霊」の信仰があり、良い言葉を発すれば良い事が起こるとされていました。明日の命も知れない戦国時代、この縁起のいい語呂合わせを取り入れた儀式は自らを奮い立たせ、武士達の心理的な支えにもなったことでしょう。
現代でも、縁起の良い語呂合わせをに願いをかけるのは同じですね。受験戦争真っ只中…少しでも運を掴みたい人は、ぜひ縁起の良い名前の食べ物に願いをこめて、勝利をおさめてください!

Written by ハヤミ

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大河ドラマ・真田丸に登場 ご飯に汁を二度かけたのは北条氏政だけではなかった

大河ドラマ・真田丸に登場 ご飯に汁を二度かけたのは北条氏政だけではなかった

飯に汁を二度かけて父を失望させた北条氏政

2016年大河ドラマ「真田丸」でも描かれていた北条氏政と汁かけ飯の話。戦国ファンの間では有名な逸話ですが、実際に史料ではどのように書かれているのでしょうか。

大河ドラマ・真田丸に登場 ご飯に汁を二度かけたのは北条氏政だけではなかった

この話が書かれている最初の本といわれるのが、江戸時代の1656年成立の『武者物語』です。
早速現代語訳にして読んでみましょう。(原文は和泉書院『武者物語・武者物語之抄・新武者物語』に掲載)

物語は北条氏康の時。跡継ぎである氏政が一緒に食事をしていると、氏康は突然涙を流して「北条は自分の代で終わる」と言い出した。
氏政や家臣たちは驚く。
氏康は続けた。
「氏政の食べ方を見るに、一つの飯に汁を2回かけて食べていた。人間は身分の高低に関わらず1日2度の食事をするのだからこれが上達しないわけはない
それなのに、一つの飯にどれくらい汁をかけるのかも計算できず、足りずに2度もかけるのは不器用である。
朝夕に行うことでさえこのような推測ができないのであれば、人間の心底も推測できず、人を目利きできるはずがない
人を目利きできなければ良い家臣は持てず、この戦国の世で明日にでも氏康が死んでしまったら、賢い大将が隣国からやってきて氏政を滅ぼしてしまうだろう」と。

後世の人達はこのエピソードを「だから北条氏は時勢を読めず、豊臣秀吉に滅ぼされてしまったのだ」という教訓として伝えました。

ところが汁を二度かけていたのは、氏政だけではなかったのです。

大河ドラマ・真田丸に登場 ご飯に汁を二度かけたのは北条氏政だけではなかった

汁を二度かけたのは氏政だけではなかった!

「昔毛利輝元が昼飯をたべていた。初めは飯をたべ味噌汁をすすっていたが、後に飯に汁をかけてたべだした
ところが、汁のかけ方が足りないと見えてまたかけた
それを毛利元就が見て、輝元は中国十二カ国の大守がつげないであろう。残念だが大将の器でないと言った。
そして十二カ国のうち八カ国を天下様に戻して、後四カ国の殿様になって天下の客分になったらよかろうと遺言した。
しかし輝元はこれを果たさなかったのでとうとう防長二カ国になってしまった。」
(宮本常一『家郷の訓』岩波文庫より)

民俗学者である著者・宮本常一氏、はこのエピソードを「一度やりかけたことは中途で変更するものではない」という教訓として聞かされたそうです。
北条氏の小田原から遠く離れた山口県の昔話ですが、どちらもとてもよく似た話ですね。

大河ドラマ・真田丸に登場 ご飯に汁を二度かけたのは北条氏政だけではなかった

汁かけ飯は便利で合理的な昔の日本の日常食

飯に汁をかける行為は、現代では行儀が悪いように見えるかもしれません。
ですが、これは戦国時代以前から貴族も行っていた食事方法なのです。

現在のように電子レンジや炊飯器がない時代。温かいご飯がいつも食べられるわけではなく、時間がたったご飯は冷えて固くなってしまいます。
ところが、汁をかければご飯が温かく柔らかくなって、食べやすくなりますね。
さらに汁かけ飯には、短い時間で食べることができるという利点があります。
特に戦国時代、汁をかけた飯は戦の陣中でも手早く食べられる便利な食事でもあったのです。
また、現代でも、お寺のお坊さんが食事を終える時には、茶碗にお茶を入れ漬物で茶碗を拭きます。汚れとなる食べ物も粗末にしないためです。
ご飯に汁をかけて食べるのは、このように食べ物を無駄にしないための方法でもあったのかもしれません。

大河ドラマ・真田丸に登場 ご飯に汁を二度かけたのは北条氏政だけではなかった

北条と毛利、似た話が存在するということは、汁かけ飯は全国共通で話を聞いた人が誰でも理解できる身近な食べ物だったということでしょう。 当時の人がどのような食事をしたのかという視点でこの話を読むと、なんとも興味深い話に思えてくるのではないでしょうか。

Written by ハヤミ

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【タイ・伊達政宗・にがあま】2016年12月 ヤミー!人気記事ランキング!

2016年12月を振り返って、ヤミー!で人気だった記事をランキング形式でご紹介します!

タイのビニール袋入りジュース

現地に行かないと知ることが出来ない!リアルなタイの現地レポ記事の中でも、特に人気のこちらの記事が第3位!
そう、タイの露天で買うジュースは、ビニール袋にストローを刺して飲むスタイルなんです!
ちょっと日本では考えづらいですよね…!
そんな文化の違いにちなんだ、ちょっと怪しい都市伝説もご紹介。
ジュース以外にも、タイの現地レポート記事は多数あるので、気になる方はこちらからチェック!

【シリーズ戦国武将】料理上手でグルメな武将・伊達政宗の好物を探ってみた

伊達政宗公がとってもヤミー!な人物だったことを紹介したこちらの記事が2位にランクイン!
真田丸で登場したことから、一気にランクアップ!
まさか自分で料理もしていたなんて…と、思った以上のグルメ武将っぷりに驚いた方も多いのでは?
その他、戦国武将シリーズはこちらからチェック!

【おいしいマンガ】働くアラサー女子とイケメンゲイのベジタリアンな共同生活

12月最もアクセスのあった記事は、おいしいマンガ『にがくてあまい』を紹介したこちらの記事でした!
先日、川口春奈さん林遣都さん主演で映画化されたことでも注目を集めたこの作品は、野菜嫌いなアラサーキャリアウーマンとベジタリアンでゲイな美術教師が繰り広げるラブコメディ。
年末のこの時期に読めば、外食や忘年会続きで弱った胃袋に、林遣都さんが演じた渚の作るヘルシーな野菜料理が、ひしひしと沁みてくるようですね…

というわけで、2016年12月のヤミー!まとめでした。
いよいよ12月、2016年も残すところ僅かです。
ヤミー!では、クリスマス特集を企画していますので、お楽しみに♪

Written by ヤミー!編集部

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【シリーズ戦国武将】勝負ごとにピッタリ 上杉謙信の大好きな「勝どき飯」

【シリーズ戦国武将】勝負ごとにピッタリ 上杉謙信の大好きな「勝どき飯」

大学受験に向けて日々塾に通って勉強している学生さんもたくさんいらっしゃるでしょう。
かくいう私も現在国家資格の勉強を日々しておりますが、受かるかどうか不安な状況と戦いながら勉学に励んでおります。そんな人達に朗報かも!?様々な資格や大学受験などにピッタリなご飯をご紹介。

【シリーズ戦国武将】勝負ごとにピッタリ 上杉謙信の大好きな「勝どき飯」

その名を「勝どき飯」といいます。なんだか色んなことに勝てそうな飯ですが、この「勝どき飯」が大好きだった戦国武将を知っていますか?
その名は上杉謙信です。
彼はこの「勝どき飯」が大好きでしたが、いつも食べることができる飯ではありません。大事な勝負の時にしか食べることができない料理でした。

上杉謙信も大好き・勝どき飯っていったいどんな料理?

名前を聞いただけ勝負事に勝てそうな雰囲気が出ている「勝どき飯」。この由来はどこから来ているのでしょうか。
勝どき飯は新潟地方を領有していた上杉家の伝統料理です。新潟といえば海の幸が新鮮ですが、戦国時代も新鮮な海の幸が採れたようで、色々な海の幸を様々な調理法で、煮込んだり焼いたりします。こうして完成したのが「勝どき飯」です。現在で言うところの御膳定食などを想像して頂ければわかりやすいと思います。

【シリーズ戦国武将】勝負ごとにピッタリ 上杉謙信の大好きな「勝どき飯」

上杉家は出陣することが決まるとまずご飯を山のように大量に炊き始めます。上杉家の兵士や将軍達は普段食べることができない豪華な食事を腹いっぱい食べて士気を高めてから戦へ向かう事を恒例儀式にしていたそうです。飯を炊く様子が城から見え始めると、ヨダレを垂らして豪華な飯にありつこうとする兵士もいたかもしれませんね。

【シリーズ戦国武将】勝負ごとにピッタリ 上杉謙信の大好きな「勝どき飯」

上杉謙信は仏門に入っていたこともあり、毎日の食事は非常に質素でした。ある日の謙信のご飯はこんな感じです。

おかずは野菜一品。
ご飯は麦飯or粟などの雑穀
そして味噌汁。

これが国のトップである大名が食べるご飯ですかと思うくらい質素倹約に努めていたそうです。しかしいざ出陣となるとこんなチンケなご飯ではなく、「勝どき飯」をお腹いっぱい食べて、酒をガツガツ飲んでから出陣したそうです。
謙信は自分が大好きな「勝どき飯」が食べられるから戦をしていたとか、していないとか…。

【シリーズ戦国武将】勝負ごとにピッタリ 上杉謙信の大好きな「勝どき飯」

現在でも勝どき飯が食べられるお店が

上杉謙信は出陣前に食べる「勝どき飯」を食べてから戦へ向ったそうですが、現在でも上杉謙信の故郷である新潟県上越市にあるから松やさんでは、戦国時代の上杉家が作った「勝どき飯」を再現しているそうです。私も試験前日に受かるようにと願をかけて「勝どき飯」を食べに行ってみたいと思います。みなさんも負けられない大事な勝負事の前に「勝どき飯」を食べてから乾坤一擲の勝負に挑んで見てはいかがですか。

Written by 廉

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【シリーズ戦国武将】焼酎とお餅が大好きな「日本一の兵」真田幸村

【シリーズ戦国武将】焼酎とお餅が大好きな「日本一の兵」真田幸村

仕事終わりにキンキンに冷えたジョッキにビールをグイっと飲んで疲れを癒す。これがサラリーマンの楽しみと言えるのではないのでしょうか。また下町の居酒屋さんではテーブルを外に出してワイワイガヤガヤとビールを片手に飲んでいるお客さんを多く見かけます。

【シリーズ戦国武将】焼酎とお餅が大好きな「日本一の兵」真田幸村

お酒が好きなのは現代人だけではありません。戦国時代の武将達もみんなと酒を飲んでワイワイするのが大好きでした。
この時代は濁酒(どぶろく)と言われる酒が一般的に飲まれていましたが、今回の主人公・真田幸村は濁酒ではなく焼酎をこよなく愛している武将。戦が終わった時には焼酎を飲んでいたそうです。

家臣に手紙を書いて懇願するほど焼酎が好きだった真田幸村

関ヶ原の戦いの時、真田幸村の兄・信之が東軍に味方した為、真田親子はバラバラになってしまいます。幸村は父と共に西軍を勝たせようと色々な妨害工作を行いますが、結果は皆さんが知っている通り東軍が勝ち、西軍に味方した幸村と父は家康に謹慎を命じられ、紀州九度山に送られます。
この地で謹慎生活を始めることになった二人ですが罪人として謹慎を命じられているのですから、楽しいことは一切ありません。幸村は父と一緒に「真田紐」を作って販売してお金を稼ぎ、大好きな焼酎を買ってきてもらうのですが、焼酎は当時高級品で紐を販売したお金では数ヶ月に一回しか購入できませんでした。彼はこんな生活に耐えられなくなり、後年「日ノ本一の兵」と呼ばれる所以となった智略を使うことにします。

【シリーズ戦国武将】焼酎とお餅が大好きな「日本一の兵」真田幸村

真田幸村は兄の家臣へ手紙を書きます。

このツボの中に焼酎をたっぷりと入れてくれ
できればこぼれないように蓋をして、紐でびっしりと縛ってから送ってくれると助かります。
そのお礼と言ってはなんですが、帷子(かたびら)を一枚送ります。
どうか焼酎を送ってください。」と。

この内容を見た兄の家臣は幸村の為に焼酎をツボいっぱいに入れて送ったそうです。
それにしても「日ノ本一の兵」と言われた幸村が焼酎を送ってくれと懇願している姿を想像すると面白くもあり…恥も外聞も気にしないほど焼酎を愛していたことがわかりますね。

真田幸村が兄との別れ際に食べた「こねつきもち」

さて真田幸村の焼酎愛を見せてもらいましたが食べ物は何が好きなのでしょうか。ずばりそれはお餅です。
彼は長野県出身の戦国武将で、当時信州と呼ばれたこの地ではコメを水洗いしてから小麦粉につける「こねつきもち」といわる郷土料理がありました。彼は幼い時から青年期や晩年になるまでこのお餅を食べていたそうですが、このお餅には幸村の切ないエピソードが詰まっておりました。

前述のとおり、関ヶ原の戦いが始まる前に真田家の親子は離れ離れになります。幸村は兄・信之との別れを惜しみ、持っていた焼酎を二人で分けて別れの宴会を行います。
しんみりとした雰囲気で最後の飲みを始める兄弟でしたが、あっという間に酒は無くなり別れの時。兄は弟の大好物である「こねつきもち」を持たせてから別れを告げ、去っていきます。今生の別れと覚悟を決めた兄からの最後のプレゼント「こねつきもち」。幸村は兄の優しさを感じて泣きながら食べたのではないのでしょうか。

Written by 廉

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