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【シリーズ戦国武将】料理上手でグルメな武将・伊達政宗の好物を探ってみた

料理の達人・政宗の好きな食べ物とは

将軍様の下をも満足させた料理の達人ともいえる伊達政宗ですが、彼の好きな食べ物とは一体何なのでしょうか?
彼は主に鮭料理が好きではらこ飯鮭寿司を好んで食べていたそうです。
「はらこ飯」は、ごはんを鮭の煮汁で炊き上げるので、お米が白くありません。しっかりと鮭の味を楽しむことができるお米の上に、大量のイクラをごはんの上にまぶしてから、鮭の煮た切り身をドーンと乗せて完成です。現在でも駅弁などで販売されているので、食べたくなった方は駅弁売り場へGO。

 

うめぇ☺ #はらこめし#はらこ飯#仙台#sendai#あら浜

てるさん(@k5acu)が投稿した写真 –

政宗の料理への思い

伊達政宗は料理への思いを名言として残しております。

料理とは旬の品をさりげなく出して、主人自ら調理してもてなすことである

現在の日本人が忘れかけている思いがこの言葉に詰まっているのではないのでしょうか。親しい友達や家族への感謝として、料理を作ってもてなしてみるのも一興かもしれませんね。

Written by 廉

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【シリーズ戦国武将】山内一豊と鰹のたたき

 

「日本人」というものを考えた時、あなたはどんな印象を抱きますか?

「和を尊ぶ」 「誠実」 「卑屈なところがある」 「勤勉」 「本音と建て前を使い分ける」 

ポジティブな面もネガティブな面もあると思います。

私が日本人に対して抱いている印象は

「食事のことになると人が変わる、その際には詭弁も辞さない」  これに尽きると思います。

 

昔、日本では仏教の教えで「4つ足の獣を食べると自分も獣になる」 

という理由で獣肉を禁止する風潮がありました。

しかし当時の人はそれでもウサギを食べたくて

「ウサギっているじゃないですか。あれ、4つ足の獣じゃなくて鳥なんですよ。

あの耳に生えてるのは羽根です、だから食べてもいいですよね…」

 

と小学生のような言い訳をしてウサギを食べていました。

それに起因してか今でもウサギは1羽、2羽と数えます。

本人たちは必死でしょうが、言い訳している当時の人のことを思うと頬が緩んでしまいます。

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↑ 「え?ボクって鳥だったんですか…?」

 

今回、そんな思わず頬が緩んでしまうような食事にまつわる言い訳(?)エピソードを耳にしたので紹介したいと思います。

 

山内一豊という武将がいます。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ら三英傑に仕えた土佐の大名です。

そして土佐では鰹を刺身で食べる風習がありました。

ところが鰹は傷みやすい魚で、現代と違って戦国時代は有効な保存手段も無い。

それなのに皆が刺身で食べるので、食中毒による死者がたびたび出ていたとか。

 

そこで山内一豊は「鰹は焼いて食べるように」とお触れを出しました。

お触れに逆らうと厳罰が待っています。

しかしそれでも刺身は生で食べたい土佐っ子、どうしたかと言うと

魚の表面をさっと焙って「ちゃんと焼きました」と言って半生の魚を食べていたようです。

他にも諸説ありますがこれが後に鰹のタタキとなったと言われています。

 

なんとなく修学旅行で夜、先生に隠れてコソコソ起きているような悪戯好きな男子生徒を想像してしまいます。

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↑領民のことを考えてお触れを出したのに…。

 

前の記事(信長、秀吉、家康に学ぶ現代を生き抜くためのサバイバル戦国飯)で紹介した関ヶ原の時の徳川家康もそうですが、この当時の上に立つ能力のある大名は特出して食材に対する正確な知識を持ち合わせていますね。

 

そんな鰹ですが、その身体にはとても優れた栄養が豊富に含まれています。

鰹の背と腹の間にある赤黒い身の部分にはパントテン酸という抗ストレス作用のある栄養が含まれています。

パントテン酸は熱に弱い性質をもっているので当時の土佐の人たちによる

なるべく火が通らない食べ方は実は理に適っていたんですね。

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また鰹は魚類トップクラスのビタミンB12と鉄分を持つ魚です。

ビタミンB12は赤血球の生成を助ける働きがあり、神経機能を正常に保つ効能があります。

またビタミンB12と鉄分はともに貧血を予防する効果があります。

また疲労回復効果と肝臓の機能を高める働きがあるタウリンも豊富に含まれています。

さらにカルシウムの吸収を促して骨を強くするビタミンD、抗酸化作用のあるビタミンA、

余分な塩分を排出するカリウム、骨を形成するマグネシウム…挙げていったらキリがありません。

 

戻り鰹の旬はまだ少し先ですが、今年の秋は積極的に栄養を意識して

たくさん鰹を食べて健康な生活を送っていきたいですね。

 

ちなみに先日twitterでこんな書き込みを見つけました。

 

『ヒンドゥー教なので牛は食べれませんが、私は考えました。ネパールにいる牛は神様だけど日本にいる牛は神様じゃないと。だから毎日 牛角に行っています。牛角最高!今、貯めたバイト代で神戸牛を1キロ買おうか迷ってます。日本の牛、ハンパないっす。』  ネパール出身男性より

 

食に貪欲なのは日本人だけじゃありませんでした(笑)

Written by tori

【戦国武将シリーズ】信長、秀吉、家康に学ぶ現代を生き抜くためのサバイバル戦国飯

鳴かぬなら殺してしまえホトトギス、

鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス、

鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス、

言うまでもなく戦国三大武将の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の性格を言い当てた格言です。

短い言葉の中で3人のキャラクターが的確に言い当てた名フレーズだと思います。

 

そんなキャラクター=人間の礎になっているものは何よりも食事であると思います。

当時の3人の食事、好物について今日は迫っていきたいと思います。

 

そんなキャラクター=人間の礎になっているものは何よりも食事であると思います。

当時の3人の食事、好物について今日は迫っていきたいと思います。

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信長は塩辛いものを好んで食べました。

これは現代人に比べて運動量が多いので身体が塩分を必要としていたことに起因し、

薄味の料理を出すと「水の味がする!」と言って気分を悪くしていたようです。

おかずに塩辛いものを好んだ半面、白米にお湯をかけただけの飯(ミソや漬物を添える場合もある)をよく食べていました。

これは食事に時間をかけたくない、と即効性を追求した結果で信長の性格がよく表れています。

もしインスタントお茶漬けがこの時代にあったらきっと毎日食べていたんじゃないでしょうか(笑)

 

また、非常に甘党だったという考察もあり、干し柿が好物だったとも。

信長と言えば宣教師から金平糖をもらったエピソードが有名ですが、きっとそれも美味しく食べたんだと思います。

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↑このシンプルさこそ信長の神髄?

 

続いて家康です。家康の強みは長寿であったこと、時期をじっと待つ辛抱強さにあります。

実際に家康は健康オタクな一面があり食事にはかなり気を遣っていたようです。

家康は粗食と知りながらも麦飯を好んで食べていました。

麦は繊維質が多く、腸内善玉菌を増やし、コレステロール・発がん物質を除去し、

さらにビタミンの合成を手伝う働きがある健康食品です。

家康は麦を食べ部下に質素倹約する領主をアピールしつつ、実はちゃっかり健康に気遣っていたのでしょう。

食事にまで表裏があるのが狸親父と言われた家康らしいと思うのは私だけでしょうか。

家康が食べ物に関する知識が豊富であったことを裏付けるエピソードは他にもあります。

関ケ原の戦いで、土砂降りの雨で火が使えず生米を食べねばならない事態になった際、

家康は「消化不良を起こすからと、コメを水に良く浸し水を完全に切ってから食べるように」と命令しました。

一方で石田三成は敗走時に空腹に耐えかねて生米を食し、腹を下して動けなくなったところを取り押さえられたと言われています。

 

それだけ食事に気を付けながら鯛のテンプラだけは我慢出来なかったところも家康の面白い所だと思います。

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↑我慢出来なくても仕方ない!?

 

さて最後は秀吉です、秀吉が好んで食べたのが味噌味の焼き蛸。

蛸のタウリンは脳機能の活性化、疲労回復に効果があり、きっと秀吉の精力的な行動、

頭脳労働の助けになったであろうことは想像に難くありません。

 

また彼の強さでもあり個性であるのが秀吉の「人たらし」の能力です。

家康の忠臣、石川数正もそのカリスマに惹かれたのか家康の元を去り豊臣に下っています。

秀吉はいつもニコニコしていて人を惹きつける何かがあった、と当時も多くの証言が上がっています。

 

そんな人たらしの秘密には彼の出生が関係していると言われています。

貧乏だった秀吉はドジョウや豆味噌といったものを食べていました。

それらの食材は幸福感をもたらす脳内物質「セロトニン」の主原料トリプトファンを多く含んでいます。

セロトニンのおかげで気持ちが前向きになっている秀吉はいつもニコニコしていて人にも好かれ、人材も寄ってくる。

その上、ストレスにも強く、柔軟なアイデアも湯水のように出て来たことでしょう。

これが秀吉というキャラクターの強みであったことは言うまでもありません。

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↑ドジョウ鍋。トリプトファンがグツグツです

 

現代でトリプトファンが入ったもの食材醤油や納豆などの大豆製品、

洋食ならヨーグルトやチーズ、バナナと言われています。

セロトニンは朝の目覚めをスッキリさせる効果もあると言われているので個人的には

それだけでも大いに摂取する価値があります。

 

仕事、家事、勉強…、現代社会を生きる我々は彼らとは違った形である種の戦いを強いられています。

そんな現代の戦場を生き抜くために運動量が多い日は塩分を多目にとり、麦飯を食べセロトニンの多い食事を摂る。

そうすれば天下を取った武将たちのように我々も成功を収めることが出来るのではないでしょうか?

Written by tori

【シリーズ戦国武将】グルメ武将・伊達政宗にまつわる料理と面白エピソード

先日、当ブログで伊達政宗が料理好きでいくつかの料理を考案し

将軍にもその料理の腕を振る舞った、というどちらかと言えば

政宗の理知的な一面がうかがえる話を紹介しました。【シリーズ戦国武将】料理上手でグルメな武将・伊達政宗の好物を探ってみた

その一方で政宗にはエキセントリックな一面もあったようで

まずは1つ、食事にまつわる変わったエピソードを紹介したいと思います。

001

 

ある日、豊臣秀吉、徳川家康、前田利家、そして伊達政宗の4人が

諸大名に茶の振る舞いをすることになりました。

誰がどの大名を持て成すかはくじで決め,料理の内容や招待客は直前まで知らされない趣向でした。

政宗が持て成すことになったのは佐竹義宣、浅野長政、加藤清正、上杉景勝の4人。

よりによって政宗と仲の悪い大名ベスト5に必ず入るような連中でした。

「これは…、嫌がらせをしろということだな!」

普通の人はそう考えません。しかし独眼竜は伊達じゃない。

そこで政宗がふと台所を見ると、料理人が季節の野菜のお吸い物を作っていました。

それを見てさっそく何かを思いつく政宗。

当時のお茶の席ではコース料理が振舞われるのが普通でした。

その日もさっそく4人の大名の前に1品目の先ほどのお吸い物が置かれました。

ところがお吸い物が置かれるや否や、すぐに次の料理がやってきます。

4人は慌ててお吸い物を口にします。その時です、4人が不意に吸った椀から口を放し唇を押さえはじめます。

彼らの唇は、そろって真赤に腫れ上がっていました。

政宗は彼らが口にするお吸い物を必要以上にぐつぐつ煮立て熱々の汁にして彼らに差し出したのです。

その後に出された料理やお酒も、4人は唇が痛くて食べられなかったそうです。

政宗はそれを見て会心のガッツポーズをしたと記述には残っているとかいないとか…。

ちなみに後でこの話を聞いた秀吉は腹を抱えて大笑いしたそうです。

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↑熱々のお吸い物、4人の気持ちを思うと…

他にもゲテモノ料理は美味しいからとネズミの味噌汁を作って死にかけたり、

二代目将軍秀忠を自邸に招き食事を出そうとした所で、将軍の側近に「毒見をしなければ出せない」と言われ

「毒殺は過去に考えたけどやるならそんな卑怯な手は使わず、戦争しとるわ!」と

天下の大将軍の目の前で本人に聞こえるように言い放ち大ヒンシュクを買ったりと面白エピソードには事欠きません。

ちなみにそんな徳川将軍に献上した料理で政宗お気に入りの一品が「白鳥の塩漬け」だと言われています。

どんな味がするのか想像もつきませんね。

(ジビエの白鳥食レポを見る限りでは普通の鳥と味は変わらないと書いてはありましたが…)

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↑どんな味が…?

ちなみに料理作りに精を出したのは主に晩年のことでそのグルメっぷりがたたって肥満に悩まされたという伝承もあります。

そのため健康に気を遣い1日3本のタバコを吸っていた(当時はタバコは薬扱い)そうです。

江戸時代にニコチンがあったのか、本当に薬としての効能はあったのか、色々と気になる話ですね。

前回の記事の最後、政宗の格言を紹介しましたが、ほかにも政宗はこんな料理格言を残しています

「朝夕の食事うまからずともほめて食うべし」

食事が美味しいと思えなくても美味い美味いと言って食べれば作った人間も気分がいいし

細かいことで気に病むこともなく気持ちも健やかでいられる、という意味だと思っています。

これは食事に限らず人生においてもあてはまることなのではないか、と思います。

1日3回、食事をしていて時には決して美味とは言えない食事にありつく機会もあると思います。

そんな時でも気持ちは前を向いていつも笑っている、そんな気概を持っていきたいですね。

Written by tori

【シリーズ戦国武将】 真田幸村、悲しき兄との別れとこねつけ餅

人生で避けて通れない辛い出来事の1つに別れがあります。

恋人との別れ、同級生との別れ、死別のよる別れ…、

人は生きることとは別れの連続といっても過言ではないかもしれません。

別れは悲しいものだからこそ一緒にいる時間は何よりも輝くし、

一緒にいた時の想い出や記憶はかけがえのない物になるのだと思います。

今日は戦国武将との悲しい別れとそれにまつわる食のエピソードをひとつ、紹介したいと思います。

001

 

真田幸村

戦国最後の大戦、大阪の陣。

真田幸村は豊臣側、幸村の兄信之は徳川側、と兄弟同士がそれぞれ敵対する陣に所属していました。

これは徳川が勝っても豊臣が勝っても真田家は存続できる、という父真田晶幸の計略によるものでした。

「お家存続のためとはいえ、兄弟同士が戦うことになるかもしれないのに…」と自分なんかは思ってしまうわけですが

そもそも現代社会の価値観で死ぬか生きるかの戦国時代を計ることは出来ません。

話を戻すと、この「大伏の別れ」と言われる決断によって敵味方に分かれることになった真田兄弟ですが、出来れば兄弟とは戦いたくないと互いに思っていました。

002

 

大阪、夏の陣

幸い兄弟同士で直接刃を交えることもなく、戦は徳川側の勝利に終わろうとしていましたが兄弟同士の戦いは回避できたものの、豊臣軍に属する幸村には後がありません。

このまま豊臣のために戦い、そして果てる運命は決して避けられないものでした。

覚悟を決めた幸村は最後に兄信之の屋敷を密かに訪れ二人は別れの盃を交わします。

互いに今生の別れであることは察しながら酒を飲む2人…。

そして信之は最後の餞別に冷えた米を餅にし、それに味噌を塗り幸村に渡します。

その餅こそ、当時から長野(信濃)で食べられていた「こねつけ餅」でした。

そしてその数日後、幸村は徳川へ大特攻を仕掛け戦場で命を落としました。

最後に幸村がどんな気持ちでこの餅を食したのか…想像もつきません。

ひょっとしたら少年時代の兄との楽しい記憶を思い出していたかもしれませんね。

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信濃(今の長野県)は内陸にあり水は豊富でなかったので米は貴重な食べ物でした。

なので米に小麦粉を足したものを焼くことで腹の足しにしていたのが起源と言われています。

そんなこねつけ餅ですが、長野県松代市にある真田邸や真田宝物館の近くで商品化されたものが売られています。

もし上田城などに行った際は足を延ばしてみてはいかがでしょうか?

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また家で作る場合も作り方は非常にシンプルです。

1、米と小麦を半々混ぜる 

2、クルミ味噌を塗る

(昔は餅の表面に塗っていましたが最近はおにぎりの具のように餅の中に餅を入れるのがスタンダードです)

3、家庭用蒸し機で蒸す(電子レンジだとムラが出来てしまいます)

4、薄く油を敷いたフライパンで餅の表面を色が変わる程度に焼く

これなら家で作れるし、夜食やおやつにもピッタリですね。

お餅を食べながら家のため、主君のため、命も兄との別れもいとわず信念を貫き戦った男…。

そんな幸村の気持ちを想像してみるのも「オツ」かもしれません。

Written by tori

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