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るろ剣も!明治人がみんなメロメロだったのは文明開化の音がするあの食べ物!

るろ剣も!明治人がみんなメロメロだったのは文明開化の音がするあの食べ物!

文明開化の音がする…

今までの文化と価値観がガラリと変わった明治日本。幕府が倒れ政府が誕生し、色々な物が急速に変わっていった時代です。
国が変わっただけでなく庶民達の文化も変わっていきます。武士と言われた人達がいなくなり、食生活も変わっていく中、庶民達はある食べ物たちにメロメロにされてしまいます。その食べ物が現代人にも大人気な、あんぱん牛鍋でした。

るろ剣も!明治人がみんなメロメロだったのは文明開化の音がするあの食べ物!
牛鍋 荒井屋 万国橋 馬車道

るろうに剣心も愛した牛鍋

牛鍋発祥の地は明治時代に開港された横浜と言われています。この地に留まった外国人達が牛肉を食べている様子を見た日本人が「うまそうに食ってるから俺らも真似してみるべ」と言って真似して食べ始めた事がきっかけだそう。
最初は牛肉の臭いがキツくて嫌われていた牛鍋でしたが、牛臭さを無くす為に味噌や醤油を入れて煮てみると臭いがなくなりなくなり食べやすくなりました。その後も味を改良していった結果、割り下(合わせ調味料)と共に肉や野菜を入れて食べる、今のすき焼きに似たスタイルになっていったそうです。
明治時代の剣客の話を描いた漫画「るろうに剣心」でも牛鍋を食べるシーンが何回も描かれており、2012年に公開された映画版でも、佐藤健演じる剣心たちが、非常に美味しそうに食べています。

るろ剣も!明治人がみんなメロメロだったのは文明開化の音がするあの食べ物!
るろ剣も!明治人がみんなメロメロだったのは文明開化の音がするあの食べ物!

©ワーナー・ブラザース

牛鍋とすき焼きとの違いは?

牛鍋とすき焼きってあんまり変わんなくない?と思われたそこのあなた!!牛鍋とすき焼きは全然違います。関西から伝わってすき焼きは、砂糖と醤油を鉄鍋に入れて熱してから、お肉を焼いて食べるもの。一方の牛鍋は、鉄鍋に合わせ調味料である割り下・野菜・お肉を入れてグツグツ煮込んだものなのです。

るろ剣も!明治人がみんなメロメロだったのは文明開化の音がするあの食べ物!

©ワーナー・ブラザース

当時の横浜では多くの牛鍋屋が存在しておりましたが、東京大震災の時に多くのお店が焼けてしまいました。しかし今でも当時の牛鍋が食べるお店が横浜にまだありますので、明治時代の人達が好んで食べた牛鍋を味わいたい方は今すぐ横浜へGO!!

明治時代に作られ、明治天皇も大好きだったあんぱん

日本を代表するパンであるあんぱん。今でも有名な菓子パンとして人気が高いですが、このあんぱん実は明治時代に誕生したパンってご存知でしたか。このあんぱんを製造したお店の名を木村屋といいます。そうです。むしパンやジャムパンで有名なあの木村屋が、日本で初めてあんぱんを製造したお店なんです。木村屋の創業者と息子二人で心血注いで作ったあんぱんを初めて販売し始めたのは銀座の地でした。あんぱんは明治人の舌に合い、あっという間に口コミで広がり大変好評だったそうです。

Kei Onoさん(@kchan1211)が投稿した写真

こうして庶民に大人気なパンとなったあんぱんですが、明治天皇もこのあんぱんが大好きでした。明治天皇が水戸藩のお屋敷に行幸された時、木村屋の創業者達はあんぱんを献上します。この時いつものあんぱんにさりげない工夫を仕掛けておりました。
あんぱんを献上した季節はちょうど桜が満開となっている春でした。そこで彼等は桜を塩漬けにしてあんぱんの上にひとひら乗せてから献上します。このあんぱんを食べた明治天皇は大いにお気に召したそうで、皇室ご用達として知られるようになります。この皇室御用達になった4月4日をあんぱんの日とし、今でもカレンダーに記載されております。

牛鍋とあんぱんの話を書いていたら無性にあんぱんと牛鍋が食べたくなってきました。とりあえずあんぱんを今からコンビニ行って買って食べ、明日の夜ご飯はすき焼きにしてみます。みなさんもあんぱんとすき焼きを食べる時には明治時代の文明開化に湧いた頃の日本人へ、思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

Written by 廉

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突然だが、世界には3種類の食の作法がある。手食、フォークナイフ食、箸食である。人口分布は、それぞれ世界の人口の40%、30%、30%ほどだという。今回は、世界を分かつ3つの食作法に迫ってみたいと思う。

嗚呼、麗しの手食文化

食べ方には、エリア宗教、それからもちろん、食べる物も関係している。
まずは、世界で最も多いとされる手食文化について。手食文化とは、文字どおり手でモノを食べる文化のことだ。手食文化が発達しているのは、東南アジアから中近東、アフリカにかけてとオセアニア地域。私たちが思っている以上に広い。

手食文化は、回教(イスラム教)やヒンズー教圏で広まった食文化であり、その裏には「食べ物は神から与えられた神聖なものである」という考え方がある。また、「食器や、箸・フォークなどの食具は汚れたものであり、手が最も清浄なのだ」という宗教的戒律に基づいているのだという。

Children Eating, India

手食文化には、独自のルールが定められている。例えば、食事の前後には必ず手を洗って口をすすぐこと、食べ物は床の敷物の上に並べること、片膝を立てるかあぐらを組んだ姿勢で食べること、来客時には男女別々に食事をすること、などである。また、食べ物に触れることが許されるのは右手だけとされており、親指、人差し指、中指の3本の指をスプーンのようにして食べる。3本の指では、食べ物の熱さや冷たさ、硬さや柔らかさも直に感じることができるのだ。つまり、手食文化とは、味覚、嗅覚、聴覚、視覚に、触覚をも加え、五感で味わうことのできる贅沢で感覚的な食べ方なのだ。いやはや奥が深い手食文化である。

【シリーズ戦国武将】料理上手でグルメな武将・伊達政宗の好物を探ってみた

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皆さんはどんな食べ物がお好きですか?ラーメンでしょうか。それともたこ焼き。もしくは焼肉でしょうか。
現代人である私達にも好物があるように、戦国時代の武将達にも好きな食べ物がありました。徳川家康は天ぷら好きで有名であり、信長は濃い味付けの料理を好んで食べておりました。
今回紹介する伊達政宗も美味しものが大好きで、実は自ら料理をするくらい好きでした。彼の料理の腕前は達人レベルに達していたそうです。

伊達政宗が調理を始めたのは兵糧研究がきっかけ

伊達政宗は自ら台所に立ってトントンと見事な包丁さばきで料理を作っていたそうですが、彼が料理をしようとしたきっかけは、戦における生命線である兵糧を研究しようとしたことがきっかけでした。
政宗が研究して開発した兵糧は現在にも残っており、仙台みそ凍み豆腐は彼が作って開発した料理であるとの言い伝えが残っております。

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将軍様からも認められた料理の腕前

政宗はこうして兵糧の研究として料理を行っていたのですが、だんだんと料理にはまっていきます。ある時、徳川家三代将軍徳川家光をもてなさなければならなくなった政宗は、自らの料理で将軍をもてなすと公言。包丁を持って山海珍味を慣れた手つきで捌き、豪華なおもてなし料理を完成させます。
将軍家光は政宗お手製の料理を食べると大いに喜び、その料理の手腕を褒めたたえたそうです。また仙台名物の一つであるずんだもちも彼が自ら作った料理の一つと言われていて、現在にも残る政宗考案料理の一つです。

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スター・ハート・リボン・アヒル…アナタの知らない箸袋箸置きの世界

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待ち時間の空腹を、最高のスパイスに!!

ごちそうがやってくるまでの待ち時間、皆さんは何をして過ごしますか?
TwitterやFacebookのチェック?
それとも、雑誌を開いてのんびり過ごす?
美味しいごちそうを待っている時間は、何をしていてもワクワクが止まらないですよね。
でも、せっかくごちそうを食べにきたのだから、待ち時間を“食に関すること”をして、楽しんでみませんか?
今回おすすめするのは、箸袋を使って折る箸置きづくりです。
きっと、美味しい料理がより一層美味しく感じられると思いますよ!!
作り方をシンプルに解説した画像もご用意しましたので、お手持ちのスマホにダウンロードして、是非実践してみてくださいね!!

スター箸置

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どんな柄の箸袋でも、キレイに仕上がる楽しい箸置です!!
難易度:★☆☆

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ハートの箸置き

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見た目以上に簡単に作れるので、是非挑戦してみて下さい!
難易度:★☆☆

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リボンの箸置き

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形がとってもキュートです。他の箸置よりちょっと難易度高め。
難易度:★★☆

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アヒルの箸置き

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複雑そうに見えますが、作ってみると案外簡単。慣れると1分以内で作れるようになりますよ!!
難易度:★★☆

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飲み会や合コンの話のタネにも!!

おいしいごちそうの待ち時間を彩ってくれるステキな箸置きたちですが、手軽に作れるので、話のネタとしても活躍すると思いますよ!!
ぜひ皆さんでシェアしてみて下さいね~!!

Written by おかちまちこ

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気分は鬼平犯科帳? アサリ・アオヤギ…春の旬な貝で江戸の味を楽しもう

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春の海の風物詩、潮干狩り
関東では3月頃から潮干狩りの人たちをみかけるようになります。
そんな潮干狩りでとれるアサリ。そしてアサリに混じって獲れることもあるアオヤギ。
普段あなたはどうやって食べていますか?

江戸前の海で豊富にとれる貝は、江戸の人々にも馴染み深い味でした。
グルメで知られる池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」にも、そんな江戸の貝料理が出てくるのです。

気分は鬼平犯科帳? アサリ・アオヤギ…春の旬な貝で江戸の味を楽しもう

鬼平の思い出の味「深川飯」

鬼平犯科帳のテレビ第1シリーズ第23話「用心棒」の中で、深川飯を食べるシーンがあります。

鍋の中でぐつぐつ音を立てる汁の中から、おたまでねぎとアサリをすくい、飯にかけ、それを平蔵にさしだします。

猫殿「またお頭も、物好きな・・・」
平蔵「猫殿、これがうまいのだ。昔々な、おやじに勘当されたとき、もう3日3晩飲まず食わずで屋敷の周りをうろつきまわってな。やっとのことで、門番のお袋にこうしてねぎとアサリの深川飯をふるまってもらったときの、そのうまさといったらもう・・・こうして思い出しただけでもよだれがたれるわ」
猫殿「でも、これはあの、醬油味でないと」
平蔵「いや何をいうんだい 深川飯は味噌に限る」
猫殿「いえいえ。なんとおっしゃろうと醬油味でございますよ!」

互いに譲らない二人を遠くから見ていた奥方が声をかけたところで、二人の小さな言い争いは終了します。

気分は鬼平犯科帳? アサリ・アオヤギ…春の旬な貝で江戸の味を楽しもう

深川飯とは?

そもそも深川めしって何なのでしょう?
簡単にいえば、アサリの入ったご飯。アサリの入った汁物をご飯にかける、いわゆるぶっかけの形と、アサリを炊き込んだ炊き込みご飯の形があります。
農林水産省選定の「農山漁村の郷土料理百選」でも東京都の郷土料理の一つとして選ばれた一品です。

深川飯 Fukagawa Meshi

「深川」は現在の東京都江東区の地名で、貝の産地として有名でした。
その深川の漁師が仕事の合間に手早く食べていたのが深川飯のはじまりといわれていますが、深川以外でも、貝のとれる地域では他にも同じようなご飯が伝わっているようです。

現在の江東区も海沿いですが、江戸時代はの深川のほうにも海岸があり、ハマグリ、カキ、バカ貝(あおやぎ)が名産でした。
今の深川飯といえばアサリが定番ですが、江戸時代にはバカ貝で作られていたともいわれています。

鬼平犯科帳劇中の長谷川平蔵は、若いときは本所深川を放蕩三昧で遊び回っていたようですが、実在の平蔵も少年時代を本所の母の実家か、長谷川家の屋敷で過ごしていた可能性もあるそうです。
深川は「本所・深川」と並び称されるように、隣り合った地です。
平蔵が深川の名物だった貝類を食べていたのも不思議ではありません。

ソバ好きな江戸っ子もよく食べた「あられそば」

気分は鬼平犯科帳? アサリ・アオヤギ…春の旬な貝で江戸の味を楽しもう

鬼平犯科帳では深川飯の他にも貝を使ったいろいろな料理が登場しますが、そのうちの一つ、現在はあまり見かけなくなったのが「あられそば」
小説では「ふたりの五郎蔵」の中で女性の密偵が立ち寄ったそば屋で、密偵達が注文したそばです。

あられそばとは、海苔とバカ貝(あおやぎ)の貝柱をいれた蕎麦のこと。
日本料理ではさいの目切りよりももっと細かいサイコロ状にする切り方を霰に見立てて「あられ切り」といいますが、具のバカ貝がこれと同じようにあられに見えることからこの名がつけられたようです。

江戸末期のそばの値段を見ると、以下のような相場だったようです。

そば      16文(普通のそば)
あんかけうどん 16文
あられそば   24文
花巻そば    24文(浅草のりをかけたもの)
天ぷらそば   32文(芝エビの天ぷらをのせたもの)
上酒一合    40文
(『江戸のファーストフード』講談社 より)

それぞれのそばのちょうど平均的な価格あたり。庶民にはなじみのあるそばでした。
現在のおそば屋さんではあまり見かけませんが、2月あたりに期間限定でメニューに載せるお店もあるので、見かけたらぜひ味わってみてください。

気分は鬼平犯科帳? アサリ・アオヤギ…春の旬な貝で江戸の味を楽しもう

関東では潮干狩りの季節。
旬の貝を使って、鬼平気分で江戸の味を楽しんでみるのも、また粋ではないでしょうか♪

Written by ハヤミ

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【シリーズ京都パン屋巡り行ってみた】これぞ京都のスタンダード!「志津屋」

【シリーズ京都パン屋巡り行ってみた】これぞ京都のスタンダード!「志津屋」

京都のパン屋さん巡り、今回はザ・京都のパン屋ということで志津屋さんの本店に行ってきました!志津屋さんを避けて、京都のパン屋は語れません

街のレトロなパン屋さん「大正製パン所」

京都のパン屋でもっとも有名というか、溶け込みすぎて当たり前になっているパン屋「志津屋(SIZUYA)」(以後敬称略)です。
京都府内に23店舗あり、大きめのスーパーのパン売り場にも商品が置いてあるので、京都なら比較的どこででも購入できます。
先日開催された「京都パンフェスティバル」にも出展していて、通りすがりのおじさんが「志津屋はいつでも食べられるからなぁ」と通り過ぎてしまうぐらい、京都市民のスタンダードなパン屋さんなのです。
そんな志津屋ですが、本店には行ったことがない…そこで今回は志津屋本社工場の横にある、志津屋本店に行って参りました!

【シリーズ京都パン屋巡り行ってみた】これぞ京都のスタンダード!「志津屋」

志津屋本店があるのは右京区の志津屋の工場のすぐそば。
最寄り駅は地下鉄東西線の「太秦天神川駅」で、駐車場も完備されています。
店内には他のお客さんもいたので写真は撮れませんでしたが、広々としていてベビーカーを押したお母さんも買い物しやすそう。
カウンターが並んだイートインスペースもあり、ゆったり過ごせそうな雰囲気です。

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店内では小川珈琲のコーヒーが味わえるようです。
コーヒーのテイクアウトサービスもしているとは…。やはりパンとコーヒーは切り離せない間柄です。

「元祖ビーフカツサンド」

【シリーズ京都パン屋巡り行ってみた】これぞ京都のスタンダード!「志津屋」

志津屋といえば、外せないのが「元祖ビーフカツサンド」です。今回は、いろいろ買いたかったのでハーフサイズを選びました。実は「京都パンフェスティバル」でも、ビーフカツサンドを購入しましたが、今回はいつもと違ってホカホカ温かい出来立てでした。さすが工場併設!

「カルネ」

【シリーズ京都パン屋巡り行ってみた】これぞ京都のスタンダード!「志津屋」

ビーフカツサンドと同様に、志津屋の代表的なパンが「カルネ」です。
志津屋のサイトでも“京都人の国民食”と紹介されている「カルネ」は、ハムと玉ねぎが挟んであるシンプルなサンドイッチです。
ペッパー味など、いろいろなバリエーションがありましたが、今回はスタンダードなカルネにしました。

「たっぷりクリームパン」

【シリーズ京都パン屋巡り行ってみた】これぞ京都のスタンダード!「志津屋」

志津屋本店の人気NO.1が、このクリームパン
持つとずっしり重たいクリームパンには、自家製カスタードクリームがたっぷり入っています。
ちなみに、NO.2はカレーパン、NO.3が塩パンでした。

おまけも購入「京都ラスク(和三盆糖味)」

【シリーズ京都パン屋巡り行ってみた】これぞ京都のスタンダード!「志津屋」

毎度ながら、ラスク購入。
プレーンとメイプルもありましたが、和三盆好きなので和三盆糖味を選びました!たくさん入った大袋もありましたよ。

「京都志津屋パン屋さんのコーヒー」

【シリーズ京都パン屋巡り行ってみた】これぞ京都のスタンダード!「志津屋」

ドリップ式のレギュラーコーヒーが一袋108円(税込)で売っていたので、買ってみました!何だか絶対おいしい予感

いただきます

【シリーズ京都パン屋巡り行ってみた】これぞ京都のスタンダード!「志津屋」

カルネは袋に書いてあった通り、オーブントースターで軽く温めました。もちろん「パン屋さんのコーヒー」も淹れましたよ。
志津屋は、いつも小さいお手拭きを付けてくれます。ありがたいサービス!
手を拭いて、いただきます!

「元祖カツサンド」は、安定のおいしさ。分厚いビーフカツフルーティなソースが良く合います。
今回はハーフサイズですが、これだけでも十分お腹いっぱいになります!この肉の厚さで255円(税込)はコスパもかなりいいですよね。

続いて、「カルネ」。マーガリンの味が効いていて、とてもおいしかったです。ハムと玉ねぎの組み合わせさっぱりしていて、いくらでも食べられそう。カルネのパンは、少しソフトなフランスパン、といった感じです。3個入りの袋もあったのですが、そっち買っても良かったかも…。

【シリーズ京都パン屋巡り行ってみた】これぞ京都のスタンダード!「志津屋」

「たっぷりクリームパン」の中が見たくて、切ってみました。
一瞬「デカい空洞?」と思ったのですが、よく見るとたぷんたぷんにクリームが入っていました!
ずっしりと重いはずです!
食べてみると、甘くてトロリとしたカスタードクリームがたっぷり。
もうお腹が限界までいっぱいになってしまいました…。

ラスクは、おやつの時間に子どもといただきました。和三盆の甘さと風味がとても上品でした。これも、大袋で買えばよかったかな。

おみやげにはSIZUYAPAN

志津屋は、他に「SIZUYAPAN」としてもブランド展開しています。SIZUYAPANは、あんパン専門店。ロゴやパッケージなどのデザインもこだわりが光る、おしゃれなお店です。SIZUYAPANとしては4店舗展開していて、京都駅にもありますので京都土産におすすめですよ。

京都観光に来たら、是非志津屋のパンを食べて京都人スタンダードを味わってほしいと思います!

Written by フジイ

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【シリーズ京都パン屋巡り行ってみた】大正8年創業!西陣「大正製パン所」

【シリーズ京都パン屋巡り行ってみた】大正8年創業!西陣「大正製パン所」

「京都の食」、と言えば「おばんざい」や「お茶漬け」などを想像する方が多いかと思います。でも、実は京都がパン消費量日本一だってご存知でしたか?
京都市内をウロウロ歩けば、あちらこちらにパン屋さんがあります。このシリーズでは、そんなパンの都・京都市にあるパン屋を巡ってレポートしていきます。
初回のお店は、京都で一番古い小売りパン屋と言われている、大正製パン所さんです。

【シリーズ京都パン屋巡り行ってみた】大正8年創業!西陣「大正製パン所」

凄く入りやすい店構え。扉がバーンと開けっ放しでした。

街のレトロなパン屋さん「大正製パン所」

大正製パン所(敬称略)は、西陣で大正時代からパンを売っている老舗です。
店構えは、物凄く古めかしい!とかではなく、ほどよくレトロで懐かしい雰囲気。街並みに溶け込んでいるので「千本今出川交差点そば」というわかりやすい場所にあるはずなのに、うっかり通り過ぎてしまいそうでした。
奥にはイートインスペースがあって、私が来店した時はイートインスペースの机を使って、お店のおばちゃんがパンの袋詰めをしていました。

パンを選ぶ

【シリーズ京都パン屋巡り行ってみた】大正8年創業!西陣「大正製パン所」

お店に入ると、レジ前にカレーパンが並んでいました。
カレーパン(中辛)は人気NO.1だそうです。手描きのPOPのクオリティがなかなか高め。これは買わねば。

【シリーズ京都パン屋巡り行ってみた】大正8年創業!西陣「大正製パン所」

次に目に入った「京のメロンパン」…物凄く気になります。白あん入りとは…。
その隣の「サンライス」は、丸いメロンパンです。京都では丸いメロンパンを「サンライズ」とか「サンライス」といいます。「京のメロンパン」はアーモンド形だから“メロンパン”と呼びます。

悩んだ結果、メロンパン系にはいかず、その隣の人気NO.2の「クリームパン」を選びました。クリームパンの袋がいい感じだったので、パケ買いです。

【シリーズ京都パン屋巡り行ってみた】大正8年創業!西陣「大正製パン所」

きちんと袋詰めされたクリームパンは、何だかノスタルジックな雰囲気です。
他にもパンを何種類かと、子どものおやつ用にラスクを購入。パン屋さんに行くと、ついつい買っちゃうんですよね。ラスク。

帰宅後、実食。思わぬ伏兵。

さて、いよいよ実食です。左から、フランクロール・クリームパン・粒あんパン・カレーパン。

【シリーズ京都パン屋巡り行ってみた】大正8年創業!西陣「大正製パン所」

程よい甘さの粒あんパンと、あっさりめの自家製クリームが入ったクリームパンは、どちらもコーヒーとの相性が良かったです。ちなみに、京都はコーヒーの消費量も日本一だったりします。
人気NO.1のカレーパンを食べた夫の感想は「普通においしいよ。」とのこと。一見、「何も分からへんやん!」と思われそうな感想ですが、実はめったにカレーパンを褒めない夫。「普通においしい」ということは、かなり高めの評価だということなのです。
そして、このあんパン・クリームパン・カレーパンに共通している特徴が、かなりパンがしっかりとしているということ。決してパサつくとか固いとかいうわけではなく、しっかりしてるなぁという食感なのです。

【シリーズ京都パン屋巡り行ってみた】大正8年創業!西陣「大正製パン所」

次に食べたのが、今まで登場していなかったパン「フランクロール」。これが、凄く美味しかったのです!
シャキシャキのキャベツはカレー味。中のウィンナーの美味しさといったら!ひとくちひとくち、パキっていうんです。さらにジューシー! POPに「大山ハムのウィンナー」と書いてあったので、おいしいだろうなぁとは思っていましたが、ここまでパキパキのジューシーだとは。
そして、やはりフランクロールもしっかりしたパン。しっかりしていて歯切れがいいので、最後まで崩れることなく、ウィンナーと同じペースで食べることが出来ました。

おまけのつもりが…

最後に、ラスクです。
クリームパンと同じく、なんだかノスタルジックなラスク。アイシングをしているラスクは久々に見ました。

【シリーズ京都パン屋巡り行ってみた】大正8年創業!西陣「大正製パン所」

なんと家族一致で「今まで食べたことのあるラスクの中で、一番おいしい!」という評価。このラスクだけを買いに、大正製パン所に行ってもいいくらいおいしかったです。
ホロホロのアイシングとさっくさくのラスク。最強の組み合わせでした。ラスクを食べていて口の中を負傷したこともあるので、このサクサクには驚きました。

さすが老舗というべきか、今回購入したパンの中に一切ハズレがなかったです。さらにフランクロールやラスクという意外な逸品にも出会えました。大正製パン所、通い詰めて色々試したくなるお店でした。

Written by フジイ

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冬にぴったりの「けんちん汁」実はあの県の郷土料理だった!

冬にぴったりの「けんちん汁」実は○○県の郷土料理だった!

光り輝く東京の近くにある、ちょっと地味?な、あの県

東京の南に位置する神奈川県ですが、多くの人にそのイメージを聞くと、「神奈川?横浜があるところ?」「ぶっちゃけ何があるのかよくわからない」などなど、聞かなきゃよかったと思う意見ばかり……。そう、地味な場所です。神奈川出身者ですら、「だいたい、横浜のイメージでしょ」「最近は、湘南や鎌倉、江の島のイメージじゃない?」とうっすらとした魅力しか思い浮かばず……。そんなことないはずだ!きっと神奈川にも他県に負けず劣らず、素敵な魅力があるはずだ!!
今回は、生まれも育ちも神奈川県!なエダマメが、神奈川県の新たな魅力をお伝えします。

けんちん汁って、知ってる?

神奈川県民なら、誰しもが知る「けんちん汁」
ネギや里芋、にんじんなどの野菜をごま油で炒め、油揚げを入れた後、だし汁やしょうゆなどで味付けをして、「くずした豆腐」を入れて煮込んだ、寒い冬に嬉しい具だくさんの汁ものです。お椀に入っている様子は、豚汁にそっくりなのですが、豚汁とは異なる部分がたくさんあります。

1.野菜をごま油で炒めるか否か

けんちん汁は、必ず野菜をごま油で炒めます。このごま油の風味が、より良いけんちん汁を作るのに大事なのだとか……。

2.味付けが違う

豚汁は、冬にぴったりな味噌で味付けをするのに対し、けんちん汁は醤油で味付けをします。

3.肉が入らない!

豚汁は、読んで字のごとく、「豚肉」を入れますが、けんちん汁はもともと精進料理だったため、肉類を入れることはNGなのです!

4.ダシが違う

先ほど言ったように、けんちん汁は精進料理のため、だしも「昆布」や「椎茸」からとったものを使います。豚肉のだしが効いた豚汁とは違い、味気ないのでは?いえいえ、そんなことはありません。優しい味わいは、体だけじゃなく、心にまで染み渡るのです!

冬にぴったりの「けんちん汁」実は○○県の郷土料理だった!

具だくさんなけんちん汁!

冬にぴったりの「けんちん汁」実は○○県の郷土料理だった!

こちらも具だくさん!な豚汁。見た目はほぼ、同じ……

けんちん汁は、その場しのぎで生まれた!?

さて、本題。けんちん汁の発祥地は、神奈川県、北鎌倉なんです。え、本当?こじつけじゃないの?と疑うことなかれ!れっきとした由来があるのです!

昔々、全国から修行僧が集まることで、有名な北鎌倉「建長寺」で大きな法要が開かれることになりました。しかし、あまりに多くのお客さんが来てしまったため、豆腐が不足する事態に……!そこで、料理をしていた修行僧の一人が、「豆腐を崩して使えばいいじゃない!」とひらめき、たくさんの野菜と一緒に煮込んだものを出すことにしました。すると、この料理が評判に!このことから、「建長寺汁」と名付けられました。それが、たくさんの人に伝わる過程で訛りが出て、現在の「けんちん汁」となったとされています。僧侶がその場しのぎので作った料理が、まさか現代でも愛されることになるとは……。神奈川すごいぞ!

けんちん汁

これはけんちん汁!

地味とはもう言わせない!神奈川だって、ヤミー!な街

神奈川出身の私ですら、郷土料理だとは知らなかったほど、ポピュラーな食べ物として普及した「けんちん汁」。寒い時期にぴったりな「けんちん汁」をはじめ、他にも「かんこ焼き」「横須賀海軍カレー」など、神奈川の郷土料理や発祥の料理はたくさん!東京から電車で30分も揺られれば、たどり着くことができる神奈川県!ぜひ、あなたの舌で、神奈川のヤミー!な郷土料理を味わってみてください!

Written by エダマメ

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【シリーズ戦国武将】勝負ごとにピッタリ 上杉謙信の大好きな「勝どき飯」

【シリーズ戦国武将】勝負ごとにピッタリ 上杉謙信の大好きな「勝どき飯」

大学受験に向けて日々塾に通って勉強している学生さんもたくさんいらっしゃるでしょう。
かくいう私も現在国家資格の勉強を日々しておりますが、受かるかどうか不安な状況と戦いながら勉学に励んでおります。そんな人達に朗報かも!?様々な資格や大学受験などにピッタリなご飯をご紹介。

【シリーズ戦国武将】勝負ごとにピッタリ 上杉謙信の大好きな「勝どき飯」

その名を「勝どき飯」といいます。なんだか色んなことに勝てそうな飯ですが、この「勝どき飯」が大好きだった戦国武将を知っていますか?
その名は上杉謙信です。
彼はこの「勝どき飯」が大好きでしたが、いつも食べることができる飯ではありません。大事な勝負の時にしか食べることができない料理でした。

上杉謙信も大好き・勝どき飯っていったいどんな料理?

名前を聞いただけ勝負事に勝てそうな雰囲気が出ている「勝どき飯」。この由来はどこから来ているのでしょうか。
勝どき飯は新潟地方を領有していた上杉家の伝統料理です。新潟といえば海の幸が新鮮ですが、戦国時代も新鮮な海の幸が採れたようで、色々な海の幸を様々な調理法で、煮込んだり焼いたりします。こうして完成したのが「勝どき飯」です。現在で言うところの御膳定食などを想像して頂ければわかりやすいと思います。

【シリーズ戦国武将】勝負ごとにピッタリ 上杉謙信の大好きな「勝どき飯」

上杉家は出陣することが決まるとまずご飯を山のように大量に炊き始めます。上杉家の兵士や将軍達は普段食べることができない豪華な食事を腹いっぱい食べて士気を高めてから戦へ向かう事を恒例儀式にしていたそうです。飯を炊く様子が城から見え始めると、ヨダレを垂らして豪華な飯にありつこうとする兵士もいたかもしれませんね。

【シリーズ戦国武将】勝負ごとにピッタリ 上杉謙信の大好きな「勝どき飯」

上杉謙信は仏門に入っていたこともあり、毎日の食事は非常に質素でした。ある日の謙信のご飯はこんな感じです。

おかずは野菜一品。
ご飯は麦飯or粟などの雑穀
そして味噌汁。

これが国のトップである大名が食べるご飯ですかと思うくらい質素倹約に努めていたそうです。しかしいざ出陣となるとこんなチンケなご飯ではなく、「勝どき飯」をお腹いっぱい食べて、酒をガツガツ飲んでから出陣したそうです。
謙信は自分が大好きな「勝どき飯」が食べられるから戦をしていたとか、していないとか…。

【シリーズ戦国武将】勝負ごとにピッタリ 上杉謙信の大好きな「勝どき飯」

現在でも勝どき飯が食べられるお店が

上杉謙信は出陣前に食べる「勝どき飯」を食べてから戦へ向ったそうですが、現在でも上杉謙信の故郷である新潟県上越市にあるから松やさんでは、戦国時代の上杉家が作った「勝どき飯」を再現しているそうです。私も試験前日に受かるようにと願をかけて「勝どき飯」を食べに行ってみたいと思います。みなさんも負けられない大事な勝負事の前に「勝どき飯」を食べてから乾坤一擲の勝負に挑んで見てはいかがですか。

Written by 廉

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【シリーズ戦国武将】焼酎とお餅が大好きな「日本一の兵」真田幸村

【シリーズ戦国武将】焼酎とお餅が大好きな「日本一の兵」真田幸村

仕事終わりにキンキンに冷えたジョッキにビールをグイっと飲んで疲れを癒す。これがサラリーマンの楽しみと言えるのではないのでしょうか。また下町の居酒屋さんではテーブルを外に出してワイワイガヤガヤとビールを片手に飲んでいるお客さんを多く見かけます。

【シリーズ戦国武将】焼酎とお餅が大好きな「日本一の兵」真田幸村

お酒が好きなのは現代人だけではありません。戦国時代の武将達もみんなと酒を飲んでワイワイするのが大好きでした。
この時代は濁酒(どぶろく)と言われる酒が一般的に飲まれていましたが、今回の主人公・真田幸村は濁酒ではなく焼酎をこよなく愛している武将。戦が終わった時には焼酎を飲んでいたそうです。

家臣に手紙を書いて懇願するほど焼酎が好きだった真田幸村

関ヶ原の戦いの時、真田幸村の兄・信之が東軍に味方した為、真田親子はバラバラになってしまいます。幸村は父と共に西軍を勝たせようと色々な妨害工作を行いますが、結果は皆さんが知っている通り東軍が勝ち、西軍に味方した幸村と父は家康に謹慎を命じられ、紀州九度山に送られます。
この地で謹慎生活を始めることになった二人ですが罪人として謹慎を命じられているのですから、楽しいことは一切ありません。幸村は父と一緒に「真田紐」を作って販売してお金を稼ぎ、大好きな焼酎を買ってきてもらうのですが、焼酎は当時高級品で紐を販売したお金では数ヶ月に一回しか購入できませんでした。彼はこんな生活に耐えられなくなり、後年「日ノ本一の兵」と呼ばれる所以となった智略を使うことにします。

【シリーズ戦国武将】焼酎とお餅が大好きな「日本一の兵」真田幸村

真田幸村は兄の家臣へ手紙を書きます。

このツボの中に焼酎をたっぷりと入れてくれ
できればこぼれないように蓋をして、紐でびっしりと縛ってから送ってくれると助かります。
そのお礼と言ってはなんですが、帷子(かたびら)を一枚送ります。
どうか焼酎を送ってください。」と。

この内容を見た兄の家臣は幸村の為に焼酎をツボいっぱいに入れて送ったそうです。
それにしても「日ノ本一の兵」と言われた幸村が焼酎を送ってくれと懇願している姿を想像すると面白くもあり…恥も外聞も気にしないほど焼酎を愛していたことがわかりますね。

真田幸村が兄との別れ際に食べた「こねつきもち」

さて真田幸村の焼酎愛を見せてもらいましたが食べ物は何が好きなのでしょうか。ずばりそれはお餅です。
彼は長野県出身の戦国武将で、当時信州と呼ばれたこの地ではコメを水洗いしてから小麦粉につける「こねつきもち」といわる郷土料理がありました。彼は幼い時から青年期や晩年になるまでこのお餅を食べていたそうですが、このお餅には幸村の切ないエピソードが詰まっておりました。

前述のとおり、関ヶ原の戦いが始まる前に真田家の親子は離れ離れになります。幸村は兄・信之との別れを惜しみ、持っていた焼酎を二人で分けて別れの宴会を行います。
しんみりとした雰囲気で最後の飲みを始める兄弟でしたが、あっという間に酒は無くなり別れの時。兄は弟の大好物である「こねつきもち」を持たせてから別れを告げ、去っていきます。今生の別れと覚悟を決めた兄からの最後のプレゼント「こねつきもち」。幸村は兄の優しさを感じて泣きながら食べたのではないのでしょうか。

Written by 廉

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美味しいからって天ぷらを食べ過ぎて亡くなってしまった歴史上の人物って!?

歴史上のあの人も愛した料理・天ぷらの歴史

エビやイカ、季節の野菜などを衣液につけて油で揚げると、お蕎麦屋さんや天ぷら屋さんで食べるサクサクした天ぷらが完成します。天つゆにつけて食べてよし、お塩をまぶして食べてよし。さくさく頬張る天ぷらは、ビールやお酒のお供としても最高ですよね。
一体この料理はいつごろ誕生したのでしょうか。

徳川家康と天ぷら

天ぷらはポルトガルで誕生した、といわれています。当時ポルトガルでは神様へお祈りを捧げるため、月の初めに節食する習慣がありました。この期間は魚介類を衣で上げた料理を食べる習慣があり、ポルトガル語で「テンポラ」と呼ばれていました。 この「テンポラ」がポルトガル人によって日本に伝えられ、「テンポラ」が訛って「天ぷら」と呼ばれるそうになったそう。
ポルトガルから天ぷらが伝えられた地・長崎には新しい物好きな庶民が多く、天ぷらもすぐに受け入れられて大人気料理へと成長します。
その後、天ぷらは関西へ進出、人気の波は更に関東へと向かいます。

徳川家康と天ぷら

江戸でポピュラーな食べものとして上り詰めた天ぷら

関西では野菜をメインとして提供されていた天ぷらですが、江戸の地では魚介類を揚げた天ぷらが多く提供されました。
また、江戸では現在のようにお店を構えて販売するスタイルではなく、屋台で誰でも気軽に食べられるようにして、気軽に食べられるイメージをアピールします。今でいうファストフードだったわけです。
この二つの作戦が大いに成功し、庶民からの人気が急上昇、天ぷらは関東地方の庶民から愛される郷土料理の地位を確立することになります。

徳川家康と天ぷら

浮世絵画家・月岡芳年の『風俗三十二相』にも天ぷらを食べる女性が描かれています

江戸幕府を開いた徳川家康も天ぷらが大好き

さて関東地方で庶民から愛されることになった天ぷらですが、徳川家康もこの天ぷらが大好きでした。 彼と天ぷらの出会いのきっかけは、京都の豪商として知られる茶屋四郎次郎から紹介されたことがきっかけ。彼が食べた天ぷらは公家から送られて鯛を揚げ、そのまま食べるのではなくニラの醤油に漬け込んでから食べるものでした。
家康はその魅力にすっかり惹かれることになります。

徳川家康と天ぷら

天ぷらを食べ過ぎて腹痛、そして…

彼はそれはもうガツガツと、天ぷらを食べに食べて大満足で床につきます。
しかし夜中、お腹に激痛を感じて幾度もトイレへ。だが激痛は収まることなく続きます。苦しんで苦しんで痛みに耐える家康ですが、ついにそのまま翌日、ポックリと亡くなってしまいます。
そんなバカなと思われるかもしれませんが、今でも彼の死因の一つとして挙げられているそうです。この話が本当だとしたら、今でも天ぷらが原因で亡くなる人がいてもおかしくありません、恐ろしい話です…。
みなさんも家康のように死んでしまわないよう、天ぷらの食べ過ぎにはくれぐれもご注意を…

Written by 廉

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