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【アイルランドには伝統料理がない!衝撃的なアイルランドの食の歴史】

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「アイルランドには伝統料理がない!」それが、私がこの国に来てはじめて感じたことでした。それは、1000年の歴史を誇る寿司やそばを毎日のように食べていた私にとっては、とうてい受け入れられない衝撃的な事実でした。しかし、この事実には、非常に興味深いヨーロッパの歴史が関係していたのです。この記事は、アイルランドの食の歴史2,500年分を5分で解説します。

アイルランドの食の歴史を平たく紹介すると、大きく分けて3つに分けることができます。

1.鉄器時代

2.中世

3.イギリス統治時代

以下では、それぞれの時代について、詳しく説明していきます。

 

鉄器時代のアイルランド料理

(画像参考: 『Fulacht fiadh』|ウィキペディア・クリエイティブコモンズ )

 

鉄器時代には、「Fulacht Fiadh」と呼ばれる全長2メートルもある大きな水槽で料理をしていました。集落に住む全家族の代表が巨大な肉のかたまりをそれぞれ持ち寄り、一度に煮ました。水槽は地面に掘り、そこに水を張ってからすぐ隣で焚き火をはじめます。焚き火では、大きな石を焼いて、熱くなったら水槽に入れて水の温度を上昇させます。これを繰り返すことで、大きなお肉も柔らかく煮ることができます。

(写真は筆者が、アイルランド国立博物館の自然史館にて撮影しました。鉄器時代の石臼です。)

 

この調理スタイルが、実は中世まで続いている地域がありました。私が以前住んでいたアイルランド西部では、当時の遺跡がきれいな状態でのこっており、中世まで使われていたことを思わせます。5時間以上もかけて、集落全員のお肉をゆでるなんて今では想像できませんね。でも、その分お肉も柔らかく、美味しそうです。再現映像はこちら→https://youtu.be/RiQZHwbGS1M

 

中世のアイルランド伝統料理

古代から中世のアイルランド伝統料理を語るまえに、ヨーロッパには類をみないアイルランド特有の歴史にふれる必要があります。

 

・古代ローマ帝国はアイルランドを征服しなかった!

(画像参考:『Ancient roman cuisine』|ウィキペディア・クリエイティブコモンズ )

アイルランドの食文化の発展にとって、幸か不幸か、古代ローマ帝国はこの国を攻めませんでした。お隣のイギリスやフランスをはじめとするヨーロッパ全体が、古代ローマ帝国に征服されたことで、古代ローマ帝国が当時持っていた中東やアフリカとの食の流通システムを使用できました。そのおかげで、ヨーロッパ全体が今までにはなかった豊富な香辛料や野菜を輸入し、独自の食文化をめまぐるしい勢いで発展させていきました。

 

しかし、アイルランドだけはこの流通システムを使うことができず、とりこ残されてしまったのです。おかげで、調味料は岩塩のみ!ほかには、富裕層が、たまに胡椒を使うぐらいでした。こうして、日本人の私にとっては想像もできないような、シンプルな食の歴史が誕生したのです。

 

・ダブリンには西ヨーロッパ最大の奴隷市場があった!

かつて、アイルランドの多くの土地を掌握していたバイキングは、アイルランドを奴隷貿易の拠点としていました。そして、多くのアイルランド人やウェールズ人を誘拐し、奴隷化しました。一説によると、あの有名な聖人・聖パトリックもウェールズから誘拐されてアイルランドに連れてこられたと言われています。アイスランドなど北欧とのコネクションを持っていたバイキングたちですが、特に食文化の発展には寄与しなかったという見方もあります。残念ながら当時の資料はほとんど残っていませんが、今後の研究に期待が集まります。

 

・フランスのノルマン人貴族がアイルランドの食文化に与えた影響

(画像: Barbara DoughertyによるPixabayからの画像)

中世になるとフランスのノルマン人貴族が、アイルランドの主要な街を拠点とし、貿易をはじめるようになりました。有名なところでは、ゴールウェイがよい例です。彼らは、ビジネスの拠点とするだけでなく、現地に住み着き子孫を繁栄させました。では、なぜノルマンディーの料理はアイルランドの食文化に影響を与えなかったのでしょうか?

 

実は、貴族と庶民がかかわることはほとんどなく、彼らのレシピがほかに伝わることはありませんでした。貿易を行っていたノルマンディー人たちは皆、それぞれに貿易船を所有していたので、食糧や調味料も自分たちの力で、輸入していたのでしょう。実際に、うさぎや鹿などが食材として持ち込まれたという記録も残っています。

 

彼らの子孫は、のちにイングランド貴族やアイルランド王家などと婚姻関係をむすび、アイルランドの文化にも溶け込んでいきます。しかし、子孫にそのレシピが伝わっているという話は聞いたことがありません。実は、私の夫もノルマン人貴族とイングランド貴族の子孫なのですが、代々使っている調味料や調理スタイルは至ってシンプルなものばかりでした。

 

・中世にはじまったHearth Cooking

中世の一般家庭では、Hearth Cookingが主流でした。各家庭には大きな暖炉があり、そこで調理します。ダッチオーブンを暖炉の壁に引っ掛けて料理したり、木炭の上に直接置いて料理したりもできます。この調理スタイルは、20世紀前半まで続きました。

https://youtu.be/mUZXp-jtFAw

 

・庶民の家庭で使われていた食材

(画像:巨大なターニップ MetsikGardenによるPixabayからの画像)

主な食材は、庶民の家庭では、牛肉、大きなカブの一種であるターニップ(Turnip)、オニオン、リーク、塩でした。ターニップはアイルランドに古くからあった野菜といわれおり、大根とじゃがいもをミックスさせたような食感の野菜です。大きさはかぼちゃほどあります。リークは日本でいう長ネギのことです。長ネギよりは太くて、葉の部分が固いのが特徴です。これらを鍋で長時間ぐつぐつと煮込んでスープにして食べました。次の記事で、実際に作って食べた感想をご紹介します!

 

・裕福な家庭の食材

当時、裕福な家庭で使われていた食材については、アイルランドの食の歴史家で知られるレジナ・セックストン教授がユーチューブ動画で説明してくれています。中世の詩人がアイルランド語で遺した文献によると、お肉は牛肉のほかに豚肉のプディング(!)、白身の肉、バター(!)、牛乳、チーズ、ケール、リーク、オートシリアル、麦、オニオン、キャベツ、ガーリック、ワイルドガーリック、ハーブ類、ナッツ類(ヘーズルナッツなど)、ベリー類(ブラックベリーなど)、りんご、魚(サーモン、うなぎ、シートラウト、ブラウントラウトなど)

 

冬や春先は、オートはポーリッジのほかに、オートケーキとしても食されていました。麦パンは、富裕層のみが手に入れることができ、特別なパーティなどでしかお目にかかれない貴重な食べ物でした。5月以降から夏にかけては冷たい乳製品や白身の肉が食べられていたそうです。当時も、ソフトからハードタイプまで、さまざまなタイプのチーズが作られていました。秋から冬にかけては、ケール、キャベツ、ガーリック、オニオン、新鮮な牛乳など豊富な食材が手に入ったそうです。こうしてみると、庶民とは大きな違いがありますね。

https://youtu.be/KiFDfYByjo8

 

イギリス統治時代の伝統料理

(画像参考:アイリッシュシチュー|ウィキペディア・クリエイティブコモンズ)

アイルランドといえば、ジャガイモ料理が有名ですが、ジャガイモはもともとアイルランドにはなく、16世紀にイギリスから伝わりました。それ以前は、アイルランド人は魚料理を好んで食べていたそうですが、イギリス統治時代にはそれらを一切禁止されたといわれています。そのため、現在アイルランドの伝統料理とよばれているものの大半は、ジャガイモが使用されており、イギリス料理の影響を受けたものばかりです。詳しくは、のちほど別な記事でご紹介します。

 

時代を超えて語りかけるアイルランドの食の歴史

この記事では、アイルランドには伝統料理がない!という発見から、歴史を遡って鉄器時代、中世、近代と、アイルランドの食文化のうつりかわりをご紹介しました。日本では考えられないことですが、国が違えば文化も違うというように、事情はさまざまです。面白い発見になりました。

 

ライター Maroon

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