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【シリーズ戦国武将】料理上手でグルメな武将・伊達政宗の好物を探ってみた

【シリーズ戦国武将】料理上手でグルメな武将・伊達政宗の好物を探ってみた

皆さんはどんな食べ物がお好きですか?ラーメンでしょうか。それともたこ焼き。もしくは焼肉でしょうか。
現代人である私達にも好物があるように、戦国時代の武将達にも好きな食べ物がありました。徳川家康は天ぷら好きで有名であり、信長は濃い味付けの料理を好んで食べておりました。
今回紹介する伊達政宗も美味しものが大好きで、実は自ら料理をするくらい好きでした。彼の料理の腕前は達人レベルに達していたそうです。

伊達政宗が調理を始めたのは兵糧研究がきっかけ

伊達政宗は自ら台所に立ってトントンと見事な包丁さばきで料理を作っていたそうですが、彼が料理をしようとしたきっかけは、戦における生命線である兵糧を研究しようとしたことがきっかけでした。
政宗が研究して開発した兵糧は現在にも残っており、仙台みそ凍み豆腐は彼が作って開発した料理であるとの言い伝えが残っております。

【シリーズ戦国武将】料理上手でグルメな武将・伊達政宗の好物を探ってみた

将軍様からも認められた料理の腕前

政宗はこうして兵糧の研究として料理を行っていたのですが、だんだんと料理にはまっていきます。ある時、徳川家三代将軍徳川家光をもてなさなければならなくなった政宗は、自らの料理で将軍をもてなすと公言。包丁を持って山海珍味を慣れた手つきで捌き、豪華なおもてなし料理を完成させます。
将軍家光は政宗お手製の料理を食べると大いに喜び、その料理の手腕を褒めたたえたそうです。また仙台名物の一つであるずんだもちも彼が自ら作った料理の一つと言われていて、現在にも残る政宗考案料理の一つです。

【シリーズ戦国武将】料理上手でグルメな武将・伊達政宗の好物を探ってみた

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【シリーズ戦国武将】 食べ物の怨みは恐ろしい?明智光秀の反乱は食べ物が原因だった!?

年の瀬も近づいてきました、2019年はどんな一年になるか、

この時期になると来年のことをアレコレ考えてしまい期待に胸が高鳴ります。

そして少し気が早いですがさらに再来年の話をすると、

2020年には長谷川博己さん主演の明智光秀を主人公とした大河ドラマ「麒麟がくる」も放映が決定しています。

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↑明智光秀

 

光秀を語る上で避けて通れないのは「本能寺の変」。何故、光秀は信長を裏切ったか、これに尽きます。

生真面目な性格の光秀は奔放な性格の信長にバカにされ続け鬱憤が溜まっていた、

信長のせいで光秀の母親は死んでしまったので怨みを抱いていた、

他の武将との共謀だった(共謀したのは家康は秀吉という説もあり)

様々な説があり歴史家達の議論の種になっています。

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↑本能寺の変

 

その中の説のひとつに「光秀が用意した料理を信長がケチをつけたことが反乱のきっかけになった」というものがあります。

1580年、信長は徳川家康による武田征伐の功を労う宴の幹事を明智光秀に任せます。

 

光秀は主君の命に応えようと湯を通して酒を和えたタコ、塩を振って焼いた鯛、鰻のナマス、干しナマコ

ハモなど入手の難しい海の幸を筆頭に砂糖と味噌で煮詰めたシイタケ、

山椒で味つけしたキジのムネ肉などが並んだ豪勢な食事を用意します。

入手困難な海の料理を多く並べるのは権力者の権威を示す意味もありました。

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ところがこの宴席料理を見た信長は光秀に大激怒。

怒った理由もお金を使いすぎたから、運送にてこずった末、海の幸が痛んで悪臭を放っていたから

など諸説あります。

 

料理に対するお金や味の文句がゲンカに発展するのは現代においてもよく見受けられる光景です。

とくに言ったほうは軽い気持ちでも言われたほうは深く傷ついたりすることが往々にあり得ることです。

ひょっとしたら我々が思っている以上に光秀はこのことで傷つき信長に怨みを抱き、

そしてその黒い情熱を抑えきれず、本能寺の変に至った…、というのも十分に考えられることではないでしょうか。

 

 

光秀が反乱に至った心境、経緯は相変わらず謎に包まれていますが、

食べ物の怨みが原因、というのも有力な説のひとつです。

まだ先の話ではありますが、その辺りのことも再来年の大河ドラマできっと描かれると思います。

明智光秀がどうして主君を裏切ったのか…その辺りがどのように描写されるか今から楽しみですね。

by tori

伊達正宗がラーメンに!?戦国武将ラーメン伊達正宗食べてきた。

先日町を歩いていて 「戦国武将ラーメン伊達政宗」 と書かれた思わず2度見するようなのぼりを見つけました。

確かに武田信玄だってモチになってるし政宗がラーメンになってもおかしくないのかもしれませんが

何がどうなって伊達政宗がラーメンになったのかが非常に気になるところです。

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というわけでさっそく行ってきました。そんな気になるラーメンを食べさせてくれるお店は

「ラーメン花月嵐」、日本全国にあるチェーン店です。

こってりした味付けと旨味のあるラーメン食べさせてくれるお店で実は僕のお気に入りのお店だったりもします。

そしてその戦国武将ラーメン、どこが伊達政宗なのか気になって仕方なかったのでさっそく行ってきました。

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一見すると普通のラーメンです。お店の説明文によるとこのラーメンを伊達政宗たらしめているものは

「仙台みそを使用している」 ことなのだそうです。なるほど。

 

食べてみた感想はとても美味しくて濃厚な味付けがたまりませんでした。

けっこう辛口な味噌の味付けに白髪ねぎの風味と食感、太い麺が絡み合って…

気が付いたら夢中になって食べさせていただきました。

 

伊達政宗の味噌に対するこだわりは半端なものではなく城の中に自分が納得する味を作るための味噌工場を作ってしまうほど。

豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に他の戦国武将が持ち込んだ味噌は皆劣化してしまった中、

伊達政宗の持ってきた味噌は全く痛まず朝鮮の地でも美味しく食べれた、というエピソードもあります。

そんな100パーセント伊達政宗プロデュースの仙台みそを歴史を超えて気軽に食べられるのは本当に

いい世の中だなぁ、と思います。

 

ちなみにこのラーメン、具材にお麩が入っているのですが、このお麩も実は仙台名物の食材なのだそうです。

濃い味噌のスープを存分に吸ったお麩の食感はとても美味でした。

またナルトも入っているのですが(ナルトが入ったラーメンというのを久し振りに食べました)

見た目の彩りを忘れない政宗を意識した盛り付け なのだそうです

ちょっとそれはこじつけじゃないかなぁ…(笑)と思いつつ、伊達政宗の料理同様

も食べる人間を持て成す気持ちを感じることの出来る心地良いラーメンでした。

濃い味付けの味噌ラーメンが好きな人は是非一度食べて見て下さい。

 

そしてこの戦国武将ラーメン、第2弾だそうで、第1弾は誰だったのか気になるところですが

きっとこの先、第3弾、第4弾と新しいラーメンが出てくるのだろうと思います。

戦国武将もラーメンも好きな僕としてはとても楽しみです。

 

by tori

【シリーズ戦国武将】山内一豊と鰹のたたき

 

「日本人」というものを考えた時、あなたはどんな印象を抱きますか?

「和を尊ぶ」 「誠実」 「卑屈なところがある」 「勤勉」 「本音と建て前を使い分ける」 

ポジティブな面もネガティブな面もあると思います。

私が日本人に対して抱いている印象は

「食事のことになると人が変わる、その際には詭弁も辞さない」  これに尽きると思います。

 

昔、日本では仏教の教えで「4つ足の獣を食べると自分も獣になる」 

という理由で獣肉を禁止する風潮がありました。

しかし当時の人はそれでもウサギを食べたくて

「ウサギっているじゃないですか。あれ、4つ足の獣じゃなくて鳥なんですよ。

あの耳に生えてるのは羽根です、だから食べてもいいですよね…」

 

と小学生のような言い訳をしてウサギを食べていました。

それに起因してか今でもウサギは1羽、2羽と数えます。

本人たちは必死でしょうが、言い訳している当時の人のことを思うと頬が緩んでしまいます。

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↑ 「え?ボクって鳥だったんですか…?」

 

今回、そんな思わず頬が緩んでしまうような食事にまつわる言い訳(?)エピソードを耳にしたので紹介したいと思います。

 

山内一豊という武将がいます。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ら三英傑に仕えた土佐の大名です。

そして土佐では鰹を刺身で食べる風習がありました。

ところが鰹は傷みやすい魚で、現代と違って戦国時代は有効な保存手段も無い。

それなのに皆が刺身で食べるので、食中毒による死者がたびたび出ていたとか。

 

そこで山内一豊は「鰹は焼いて食べるように」とお触れを出しました。

お触れに逆らうと厳罰が待っています。

しかしそれでも刺身は生で食べたい土佐っ子、どうしたかと言うと

魚の表面をさっと焙って「ちゃんと焼きました」と言って半生の魚を食べていたようです。

他にも諸説ありますがこれが後に鰹のタタキとなったと言われています。

 

なんとなく修学旅行で夜、先生に隠れてコソコソ起きているような悪戯好きな男子生徒を想像してしまいます。

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↑領民のことを考えてお触れを出したのに…。

 

前の記事(信長、秀吉、家康に学ぶ現代を生き抜くためのサバイバル戦国飯)で紹介した関ヶ原の時の徳川家康もそうですが、この当時の上に立つ能力のある大名は特出して食材に対する正確な知識を持ち合わせていますね。

 

そんな鰹ですが、その身体にはとても優れた栄養が豊富に含まれています。

鰹の背と腹の間にある赤黒い身の部分にはパントテン酸という抗ストレス作用のある栄養が含まれています。

パントテン酸は熱に弱い性質をもっているので当時の土佐の人たちによる

なるべく火が通らない食べ方は実は理に適っていたんですね。

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また鰹は魚類トップクラスのビタミンB12と鉄分を持つ魚です。

ビタミンB12は赤血球の生成を助ける働きがあり、神経機能を正常に保つ効能があります。

またビタミンB12と鉄分はともに貧血を予防する効果があります。

また疲労回復効果と肝臓の機能を高める働きがあるタウリンも豊富に含まれています。

さらにカルシウムの吸収を促して骨を強くするビタミンD、抗酸化作用のあるビタミンA、

余分な塩分を排出するカリウム、骨を形成するマグネシウム…挙げていったらキリがありません。

 

戻り鰹の旬はまだ少し先ですが、今年の秋は積極的に栄養を意識して

たくさん鰹を食べて健康な生活を送っていきたいですね。

 

ちなみに先日twitterでこんな書き込みを見つけました。

 

『ヒンドゥー教なので牛は食べれませんが、私は考えました。ネパールにいる牛は神様だけど日本にいる牛は神様じゃないと。だから毎日 牛角に行っています。牛角最高!今、貯めたバイト代で神戸牛を1キロ買おうか迷ってます。日本の牛、ハンパないっす。』  ネパール出身男性より

 

食に貪欲なのは日本人だけじゃありませんでした(笑)

Written by tori

【戦国武将シリーズ】信長、秀吉、家康に学ぶ現代を生き抜くためのサバイバル戦国飯

鳴かぬなら殺してしまえホトトギス、

鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス、

鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス、

言うまでもなく戦国三大武将の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の性格を言い当てた格言です。

短い言葉の中で3人のキャラクターが的確に言い当てた名フレーズだと思います。

 

そんなキャラクター=人間の礎になっているものは何よりも食事であると思います。

当時の3人の食事、好物について今日は迫っていきたいと思います。

 

そんなキャラクター=人間の礎になっているものは何よりも食事であると思います。

当時の3人の食事、好物について今日は迫っていきたいと思います。

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信長は塩辛いものを好んで食べました。

これは現代人に比べて運動量が多いので身体が塩分を必要としていたことに起因し、

薄味の料理を出すと「水の味がする!」と言って気分を悪くしていたようです。

おかずに塩辛いものを好んだ半面、白米にお湯をかけただけの飯(ミソや漬物を添える場合もある)をよく食べていました。

これは食事に時間をかけたくない、と即効性を追求した結果で信長の性格がよく表れています。

もしインスタントお茶漬けがこの時代にあったらきっと毎日食べていたんじゃないでしょうか(笑)

 

また、非常に甘党だったという考察もあり、干し柿が好物だったとも。

信長と言えば宣教師から金平糖をもらったエピソードが有名ですが、きっとそれも美味しく食べたんだと思います。

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↑このシンプルさこそ信長の神髄?

 

続いて家康です。家康の強みは長寿であったこと、時期をじっと待つ辛抱強さにあります。

実際に家康は健康オタクな一面があり食事にはかなり気を遣っていたようです。

家康は粗食と知りながらも麦飯を好んで食べていました。

麦は繊維質が多く、腸内善玉菌を増やし、コレステロール・発がん物質を除去し、

さらにビタミンの合成を手伝う働きがある健康食品です。

家康は麦を食べ部下に質素倹約する領主をアピールしつつ、実はちゃっかり健康に気遣っていたのでしょう。

食事にまで表裏があるのが狸親父と言われた家康らしいと思うのは私だけでしょうか。

家康が食べ物に関する知識が豊富であったことを裏付けるエピソードは他にもあります。

関ケ原の戦いで、土砂降りの雨で火が使えず生米を食べねばならない事態になった際、

家康は「消化不良を起こすからと、コメを水に良く浸し水を完全に切ってから食べるように」と命令しました。

一方で石田三成は敗走時に空腹に耐えかねて生米を食し、腹を下して動けなくなったところを取り押さえられたと言われています。

 

それだけ食事に気を付けながら鯛のテンプラだけは我慢出来なかったところも家康の面白い所だと思います。

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↑我慢出来なくても仕方ない!?

 

さて最後は秀吉です、秀吉が好んで食べたのが味噌味の焼き蛸。

蛸のタウリンは脳機能の活性化、疲労回復に効果があり、きっと秀吉の精力的な行動、

頭脳労働の助けになったであろうことは想像に難くありません。

 

また彼の強さでもあり個性であるのが秀吉の「人たらし」の能力です。

家康の忠臣、石川数正もそのカリスマに惹かれたのか家康の元を去り豊臣に下っています。

秀吉はいつもニコニコしていて人を惹きつける何かがあった、と当時も多くの証言が上がっています。

 

そんな人たらしの秘密には彼の出生が関係していると言われています。

貧乏だった秀吉はドジョウや豆味噌といったものを食べていました。

それらの食材は幸福感をもたらす脳内物質「セロトニン」の主原料トリプトファンを多く含んでいます。

セロトニンのおかげで気持ちが前向きになっている秀吉はいつもニコニコしていて人にも好かれ、人材も寄ってくる。

その上、ストレスにも強く、柔軟なアイデアも湯水のように出て来たことでしょう。

これが秀吉というキャラクターの強みであったことは言うまでもありません。

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↑ドジョウ鍋。トリプトファンがグツグツです

 

現代でトリプトファンが入ったもの食材醤油や納豆などの大豆製品、

洋食ならヨーグルトやチーズ、バナナと言われています。

セロトニンは朝の目覚めをスッキリさせる効果もあると言われているので個人的には

それだけでも大いに摂取する価値があります。

 

仕事、家事、勉強…、現代社会を生きる我々は彼らとは違った形である種の戦いを強いられています。

そんな現代の戦場を生き抜くために運動量が多い日は塩分を多目にとり、麦飯を食べセロトニンの多い食事を摂る。

そうすれば天下を取った武将たちのように我々も成功を収めることが出来るのではないでしょうか?

Written by tori

【シリーズ戦国武将】グルメ武将・伊達政宗にまつわる料理と面白エピソード

先日、当ブログで伊達政宗が料理好きでいくつかの料理を考案し

将軍にもその料理の腕を振る舞った、というどちらかと言えば

政宗の理知的な一面がうかがえる話を紹介しました。【シリーズ戦国武将】料理上手でグルメな武将・伊達政宗の好物を探ってみた

その一方で政宗にはエキセントリックな一面もあったようで

まずは1つ、食事にまつわる変わったエピソードを紹介したいと思います。

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ある日、豊臣秀吉、徳川家康、前田利家、そして伊達政宗の4人が

諸大名に茶の振る舞いをすることになりました。

誰がどの大名を持て成すかはくじで決め,料理の内容や招待客は直前まで知らされない趣向でした。

政宗が持て成すことになったのは佐竹義宣、浅野長政、加藤清正、上杉景勝の4人。

よりによって政宗と仲の悪い大名ベスト5に必ず入るような連中でした。

「これは…、嫌がらせをしろということだな!」

普通の人はそう考えません。しかし独眼竜は伊達じゃない。

そこで政宗がふと台所を見ると、料理人が季節の野菜のお吸い物を作っていました。

それを見てさっそく何かを思いつく政宗。

当時のお茶の席ではコース料理が振舞われるのが普通でした。

その日もさっそく4人の大名の前に1品目の先ほどのお吸い物が置かれました。

ところがお吸い物が置かれるや否や、すぐに次の料理がやってきます。

4人は慌ててお吸い物を口にします。その時です、4人が不意に吸った椀から口を放し唇を押さえはじめます。

彼らの唇は、そろって真赤に腫れ上がっていました。

政宗は彼らが口にするお吸い物を必要以上にぐつぐつ煮立て熱々の汁にして彼らに差し出したのです。

その後に出された料理やお酒も、4人は唇が痛くて食べられなかったそうです。

政宗はそれを見て会心のガッツポーズをしたと記述には残っているとかいないとか…。

ちなみに後でこの話を聞いた秀吉は腹を抱えて大笑いしたそうです。

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↑熱々のお吸い物、4人の気持ちを思うと…

他にもゲテモノ料理は美味しいからとネズミの味噌汁を作って死にかけたり、

二代目将軍秀忠を自邸に招き食事を出そうとした所で、将軍の側近に「毒見をしなければ出せない」と言われ

「毒殺は過去に考えたけどやるならそんな卑怯な手は使わず、戦争しとるわ!」と

天下の大将軍の目の前で本人に聞こえるように言い放ち大ヒンシュクを買ったりと面白エピソードには事欠きません。

ちなみにそんな徳川将軍に献上した料理で政宗お気に入りの一品が「白鳥の塩漬け」だと言われています。

どんな味がするのか想像もつきませんね。

(ジビエの白鳥食レポを見る限りでは普通の鳥と味は変わらないと書いてはありましたが…)

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↑どんな味が…?

ちなみに料理作りに精を出したのは主に晩年のことでそのグルメっぷりがたたって肥満に悩まされたという伝承もあります。

そのため健康に気を遣い1日3本のタバコを吸っていた(当時はタバコは薬扱い)そうです。

江戸時代にニコチンがあったのか、本当に薬としての効能はあったのか、色々と気になる話ですね。

前回の記事の最後、政宗の格言を紹介しましたが、ほかにも政宗はこんな料理格言を残しています

「朝夕の食事うまからずともほめて食うべし」

食事が美味しいと思えなくても美味い美味いと言って食べれば作った人間も気分がいいし

細かいことで気に病むこともなく気持ちも健やかでいられる、という意味だと思っています。

これは食事に限らず人生においてもあてはまることなのではないか、と思います。

1日3回、食事をしていて時には決して美味とは言えない食事にありつく機会もあると思います。

そんな時でも気持ちは前を向いていつも笑っている、そんな気概を持っていきたいですね。

Written by tori

【シリーズ戦国武将】 真田幸村、悲しき兄との別れとこねつけ餅

人生で避けて通れない辛い出来事の1つに別れがあります。

恋人との別れ、同級生との別れ、死別のよる別れ…、

人は生きることとは別れの連続といっても過言ではないかもしれません。

別れは悲しいものだからこそ一緒にいる時間は何よりも輝くし、

一緒にいた時の想い出や記憶はかけがえのない物になるのだと思います。

今日は戦国武将との悲しい別れとそれにまつわる食のエピソードをひとつ、紹介したいと思います。

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真田幸村

戦国最後の大戦、大阪の陣。

真田幸村は豊臣側、幸村の兄信之は徳川側、と兄弟同士がそれぞれ敵対する陣に所属していました。

これは徳川が勝っても豊臣が勝っても真田家は存続できる、という父真田晶幸の計略によるものでした。

「お家存続のためとはいえ、兄弟同士が戦うことになるかもしれないのに…」と自分なんかは思ってしまうわけですが

そもそも現代社会の価値観で死ぬか生きるかの戦国時代を計ることは出来ません。

話を戻すと、この「大伏の別れ」と言われる決断によって敵味方に分かれることになった真田兄弟ですが、出来れば兄弟とは戦いたくないと互いに思っていました。

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大阪、夏の陣

幸い兄弟同士で直接刃を交えることもなく、戦は徳川側の勝利に終わろうとしていましたが兄弟同士の戦いは回避できたものの、豊臣軍に属する幸村には後がありません。

このまま豊臣のために戦い、そして果てる運命は決して避けられないものでした。

覚悟を決めた幸村は最後に兄信之の屋敷を密かに訪れ二人は別れの盃を交わします。

互いに今生の別れであることは察しながら酒を飲む2人…。

そして信之は最後の餞別に冷えた米を餅にし、それに味噌を塗り幸村に渡します。

その餅こそ、当時から長野(信濃)で食べられていた「こねつけ餅」でした。

そしてその数日後、幸村は徳川へ大特攻を仕掛け戦場で命を落としました。

最後に幸村がどんな気持ちでこの餅を食したのか…想像もつきません。

ひょっとしたら少年時代の兄との楽しい記憶を思い出していたかもしれませんね。

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信濃(今の長野県)は内陸にあり水は豊富でなかったので米は貴重な食べ物でした。

なので米に小麦粉を足したものを焼くことで腹の足しにしていたのが起源と言われています。

そんなこねつけ餅ですが、長野県松代市にある真田邸や真田宝物館の近くで商品化されたものが売られています。

もし上田城などに行った際は足を延ばしてみてはいかがでしょうか?

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また家で作る場合も作り方は非常にシンプルです。

1、米と小麦を半々混ぜる 

2、クルミ味噌を塗る

(昔は餅の表面に塗っていましたが最近はおにぎりの具のように餅の中に餅を入れるのがスタンダードです)

3、家庭用蒸し機で蒸す(電子レンジだとムラが出来てしまいます)

4、薄く油を敷いたフライパンで餅の表面を色が変わる程度に焼く

これなら家で作れるし、夜食やおやつにもピッタリですね。

お餅を食べながら家のため、主君のため、命も兄との別れもいとわず信念を貫き戦った男…。

そんな幸村の気持ちを想像してみるのも「オツ」かもしれません。

Written by tori

受験中の食事の参考にしたい!北条氏綱は○○○で戦に勝利?戦国時代の験担ぎ

受験中の食事の参考にしたい!北条氏綱はカツオで戦に勝利?戦国時代の験担ぎ

毎日の受験勉強お疲れ様です!
受験戦争を勝ち抜くために、縁起の良い語呂の食べ物を食べて試験に臨む受験生もいらっしゃるのではないでしょうか?
そんなふうに縁起のいい語呂合わせで験担ぎをしたのは、まさに命をかけた戦争をしていた戦国時代も同じだったのです。

受験中の食事の参考にしたい!北条氏綱はカツオで戦に勝利?戦国時代の験担ぎ

北条氏綱が喜んだ「勝つ魚」

天文6(1537)年の夏。相模国(神奈川県)小田原の近海では多くの釣り船がカツオを釣るために海士が漁に出ていました。それを聞いた北条氏綱は、海士の漁を見物するために、舟を出したのです。
酒を飲みながら楽しんでいたところに、1匹のカツオが氏綱の船へ飛び入ります。氏綱はこれを喜び「勝負にかつうお」だと言い、すぐに酒の肴にしました。
同じ年の7月上旬。氏綱は武蔵国(現在の東京都・埼玉県)を治める上杉五郎朝定を攻めるために出陣すると、15日夜に戦に勝利。武蔵国を治めるようになったのです。
その頃の北条氏は全方位に敵があり、戦が止むことがない毎日でした。氏綱が賞味したカツオは「勝負にかつうお」ともてはやされるようになり、北条家の侍達は常にそれを準備して、戦場に出る時の酒の肴にはカツオが欠かせないものになりました。

この話は、寛永18(1641)に三浦浄心が書いた『北条五代記』に載っています。北条氏綱は、大河ドラマ真田丸で登場した北条氏政の祖父にあたる人物です。

受験中の食事の参考にしたい!北条氏綱はカツオで戦に勝利?戦国時代の験担ぎ

カツオハプニングを歴史からみると

この頃の北条氏はまだ安定した勢力ではなく、上杉氏をはじめ、昔から関東を治めていた一族と激しい戦闘を繰り返していました。
そしてこの天文6年。実は4月に上杉朝定の父が病死し、代替わりしたばかりだったのです。家中も何かと変化し、ごたつくこともあったでしょう。百戦錬磨の氏綱がそれを見逃すはずがありません。朝定を攻めるための準備を着々と進めていたのではないでしょうか。

そんな時に、船に飛び込んできたカツオ。氏綱にとっても良い知らせと受け取り喜んだのはもちろんですが、それをアピールすることで家臣を奮い立たせようとしたのかもしれません。

この時の験を担いで後の北条氏でも出陣でカツオが用意されるようになったということは、この時の勝利が後の世にも語り伝えられる大きな節目となる勝利だったのでしょう。またカツオは当時の小田原でも獲れるので、北条氏にとっては手に入りやすかったということもあるかと思います。

受験中の食事の参考にしたい!北条氏綱はカツオで戦に勝利?戦国時代の験担ぎ

語呂合わせに願いをこめた戦国時代

北条氏がカツオを験担ぎで用いたように、日本では古くから縁起が良い語呂を儀式にとりいれています。
戦国時代に合戦へ出陣するときには、大将と家臣達で戦勝祈願のために「三献の儀式」が行われていました。この儀式は「打鮑(うちあわび)」「勝栗(かちぐり)」「昆布」を食べ、敵に「打ち」「勝ち」「喜ぶ」ことを願う儀式です。
見事に勝利して凱旋した時には、食べる順序が変わります。「敵に勝ち(勝栗)、打ち(打ち鮑)、よろこぶ(昆布)」という順序で食べるのです。

受験中の食事の参考にしたい!北条氏綱はカツオで戦に勝利?戦国時代の験担ぎ

日本では古来より「言霊」の信仰があり、良い言葉を発すれば良い事が起こるとされていました。明日の命も知れない戦国時代、この縁起のいい語呂合わせを取り入れた儀式は自らを奮い立たせ、武士達の心理的な支えにもなったことでしょう。
現代でも、縁起の良い語呂合わせをに願いをかけるのは同じですね。受験戦争真っ只中…少しでも運を掴みたい人は、ぜひ縁起の良い名前の食べ物に願いをこめて、勝利をおさめてください!

Written by ハヤミ

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大河ドラマ・真田丸に登場 ご飯に汁を二度かけたのは北条氏政だけではなかった

大河ドラマ・真田丸に登場 ご飯に汁を二度かけたのは北条氏政だけではなかった

飯に汁を二度かけて父を失望させた北条氏政

2016年大河ドラマ「真田丸」でも描かれていた北条氏政と汁かけ飯の話。戦国ファンの間では有名な逸話ですが、実際に史料ではどのように書かれているのでしょうか。

大河ドラマ・真田丸に登場 ご飯に汁を二度かけたのは北条氏政だけではなかった

この話が書かれている最初の本といわれるのが、江戸時代の1656年成立の『武者物語』です。
早速現代語訳にして読んでみましょう。(原文は和泉書院『武者物語・武者物語之抄・新武者物語』に掲載)

物語は北条氏康の時。跡継ぎである氏政が一緒に食事をしていると、氏康は突然涙を流して「北条は自分の代で終わる」と言い出した。
氏政や家臣たちは驚く。
氏康は続けた。
「氏政の食べ方を見るに、一つの飯に汁を2回かけて食べていた。人間は身分の高低に関わらず1日2度の食事をするのだからこれが上達しないわけはない
それなのに、一つの飯にどれくらい汁をかけるのかも計算できず、足りずに2度もかけるのは不器用である。
朝夕に行うことでさえこのような推測ができないのであれば、人間の心底も推測できず、人を目利きできるはずがない
人を目利きできなければ良い家臣は持てず、この戦国の世で明日にでも氏康が死んでしまったら、賢い大将が隣国からやってきて氏政を滅ぼしてしまうだろう」と。

後世の人達はこのエピソードを「だから北条氏は時勢を読めず、豊臣秀吉に滅ぼされてしまったのだ」という教訓として伝えました。

ところが汁を二度かけていたのは、氏政だけではなかったのです。

大河ドラマ・真田丸に登場 ご飯に汁を二度かけたのは北条氏政だけではなかった

汁を二度かけたのは氏政だけではなかった!

「昔毛利輝元が昼飯をたべていた。初めは飯をたべ味噌汁をすすっていたが、後に飯に汁をかけてたべだした
ところが、汁のかけ方が足りないと見えてまたかけた
それを毛利元就が見て、輝元は中国十二カ国の大守がつげないであろう。残念だが大将の器でないと言った。
そして十二カ国のうち八カ国を天下様に戻して、後四カ国の殿様になって天下の客分になったらよかろうと遺言した。
しかし輝元はこれを果たさなかったのでとうとう防長二カ国になってしまった。」
(宮本常一『家郷の訓』岩波文庫より)

民俗学者である著者・宮本常一氏、はこのエピソードを「一度やりかけたことは中途で変更するものではない」という教訓として聞かされたそうです。
北条氏の小田原から遠く離れた山口県の昔話ですが、どちらもとてもよく似た話ですね。

大河ドラマ・真田丸に登場 ご飯に汁を二度かけたのは北条氏政だけではなかった

汁かけ飯は便利で合理的な昔の日本の日常食

飯に汁をかける行為は、現代では行儀が悪いように見えるかもしれません。
ですが、これは戦国時代以前から貴族も行っていた食事方法なのです。

現在のように電子レンジや炊飯器がない時代。温かいご飯がいつも食べられるわけではなく、時間がたったご飯は冷えて固くなってしまいます。
ところが、汁をかければご飯が温かく柔らかくなって、食べやすくなりますね。
さらに汁かけ飯には、短い時間で食べることができるという利点があります。
特に戦国時代、汁をかけた飯は戦の陣中でも手早く食べられる便利な食事でもあったのです。
また、現代でも、お寺のお坊さんが食事を終える時には、茶碗にお茶を入れ漬物で茶碗を拭きます。汚れとなる食べ物も粗末にしないためです。
ご飯に汁をかけて食べるのは、このように食べ物を無駄にしないための方法でもあったのかもしれません。

大河ドラマ・真田丸に登場 ご飯に汁を二度かけたのは北条氏政だけではなかった

北条と毛利、似た話が存在するということは、汁かけ飯は全国共通で話を聞いた人が誰でも理解できる身近な食べ物だったということでしょう。 当時の人がどのような食事をしたのかという視点でこの話を読むと、なんとも興味深い話に思えてくるのではないでしょうか。

Written by ハヤミ

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るろ剣も!明治人がみんなメロメロだったのは文明開化の音がするあの食べ物!

るろ剣も!明治人がみんなメロメロだったのは文明開化の音がするあの食べ物!

文明開化の音がする…

今までの文化と価値観がガラリと変わった明治日本。幕府が倒れ政府が誕生し、色々な物が急速に変わっていった時代です。
国が変わっただけでなく庶民達の文化も変わっていきます。武士と言われた人達がいなくなり、食生活も変わっていく中、庶民達はある食べ物たちにメロメロにされてしまいます。その食べ物が現代人にも大人気な、あんぱん牛鍋でした。

るろ剣も!明治人がみんなメロメロだったのは文明開化の音がするあの食べ物!
牛鍋 荒井屋 万国橋 馬車道

るろうに剣心も愛した牛鍋

牛鍋発祥の地は明治時代に開港された横浜と言われています。この地に留まった外国人達が牛肉を食べている様子を見た日本人が「うまそうに食ってるから俺らも真似してみるべ」と言って真似して食べ始めた事がきっかけだそう。
最初は牛肉の臭いがキツくて嫌われていた牛鍋でしたが、牛臭さを無くす為に味噌や醤油を入れて煮てみると臭いがなくなりなくなり食べやすくなりました。その後も味を改良していった結果、割り下(合わせ調味料)と共に肉や野菜を入れて食べる、今のすき焼きに似たスタイルになっていったそうです。
明治時代の剣客の話を描いた漫画「るろうに剣心」でも牛鍋を食べるシーンが何回も描かれており、2012年に公開された映画版でも、佐藤健演じる剣心たちが、非常に美味しそうに食べています。

るろ剣も!明治人がみんなメロメロだったのは文明開化の音がするあの食べ物!
るろ剣も!明治人がみんなメロメロだったのは文明開化の音がするあの食べ物!

©ワーナー・ブラザース

牛鍋とすき焼きとの違いは?

牛鍋とすき焼きってあんまり変わんなくない?と思われたそこのあなた!!牛鍋とすき焼きは全然違います。関西から伝わってすき焼きは、砂糖と醤油を鉄鍋に入れて熱してから、お肉を焼いて食べるもの。一方の牛鍋は、鉄鍋に合わせ調味料である割り下・野菜・お肉を入れてグツグツ煮込んだものなのです。

るろ剣も!明治人がみんなメロメロだったのは文明開化の音がするあの食べ物!

©ワーナー・ブラザース

当時の横浜では多くの牛鍋屋が存在しておりましたが、東京大震災の時に多くのお店が焼けてしまいました。しかし今でも当時の牛鍋が食べるお店が横浜にまだありますので、明治時代の人達が好んで食べた牛鍋を味わいたい方は今すぐ横浜へGO!!

明治時代に作られ、明治天皇も大好きだったあんぱん

日本を代表するパンであるあんぱん。今でも有名な菓子パンとして人気が高いですが、このあんぱん実は明治時代に誕生したパンってご存知でしたか。このあんぱんを製造したお店の名を木村屋といいます。そうです。むしパンやジャムパンで有名なあの木村屋が、日本で初めてあんぱんを製造したお店なんです。木村屋の創業者と息子二人で心血注いで作ったあんぱんを初めて販売し始めたのは銀座の地でした。あんぱんは明治人の舌に合い、あっという間に口コミで広がり大変好評だったそうです。

Kei Onoさん(@kchan1211)が投稿した写真

こうして庶民に大人気なパンとなったあんぱんですが、明治天皇もこのあんぱんが大好きでした。明治天皇が水戸藩のお屋敷に行幸された時、木村屋の創業者達はあんぱんを献上します。この時いつものあんぱんにさりげない工夫を仕掛けておりました。
あんぱんを献上した季節はちょうど桜が満開となっている春でした。そこで彼等は桜を塩漬けにしてあんぱんの上にひとひら乗せてから献上します。このあんぱんを食べた明治天皇は大いにお気に召したそうで、皇室ご用達として知られるようになります。この皇室御用達になった4月4日をあんぱんの日とし、今でもカレンダーに記載されております。

牛鍋とあんぱんの話を書いていたら無性にあんぱんと牛鍋が食べたくなってきました。とりあえずあんぱんを今からコンビニ行って買って食べ、明日の夜ご飯はすき焼きにしてみます。みなさんもあんぱんとすき焼きを食べる時には明治時代の文明開化に湧いた頃の日本人へ、思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

Written by 廉

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というわけで、2016年12月のヤミー!まとめでした。
いよいよ12月、2016年も残すところ僅かです。
ヤミー!では、クリスマス特集を企画していますので、お楽しみに♪

Written by ヤミー!編集部

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