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【シリーズ戦国武将】勝負ごとにピッタリ 上杉謙信の大好きな「勝どき飯」

【シリーズ戦国武将】勝負ごとにピッタリ 上杉謙信の大好きな「勝どき飯」

大学受験に向けて日々塾に通って勉強している学生さんもたくさんいらっしゃるでしょう。
かくいう私も現在国家資格の勉強を日々しておりますが、受かるかどうか不安な状況と戦いながら勉学に励んでおります。そんな人達に朗報かも!?様々な資格や大学受験などにピッタリなご飯をご紹介。

【シリーズ戦国武将】勝負ごとにピッタリ 上杉謙信の大好きな「勝どき飯」

その名を「勝どき飯」といいます。なんだか色んなことに勝てそうな飯ですが、この「勝どき飯」が大好きだった戦国武将を知っていますか?
その名は上杉謙信です。
彼はこの「勝どき飯」が大好きでしたが、いつも食べることができる飯ではありません。大事な勝負の時にしか食べることができない料理でした。

上杉謙信も大好き・勝どき飯っていったいどんな料理?

名前を聞いただけ勝負事に勝てそうな雰囲気が出ている「勝どき飯」。この由来はどこから来ているのでしょうか。
勝どき飯は新潟地方を領有していた上杉家の伝統料理です。新潟といえば海の幸が新鮮ですが、戦国時代も新鮮な海の幸が採れたようで、色々な海の幸を様々な調理法で、煮込んだり焼いたりします。こうして完成したのが「勝どき飯」です。現在で言うところの御膳定食などを想像して頂ければわかりやすいと思います。

【シリーズ戦国武将】勝負ごとにピッタリ 上杉謙信の大好きな「勝どき飯」

上杉家は出陣することが決まるとまずご飯を山のように大量に炊き始めます。上杉家の兵士や将軍達は普段食べることができない豪華な食事を腹いっぱい食べて士気を高めてから戦へ向かう事を恒例儀式にしていたそうです。飯を炊く様子が城から見え始めると、ヨダレを垂らして豪華な飯にありつこうとする兵士もいたかもしれませんね。

【シリーズ戦国武将】勝負ごとにピッタリ 上杉謙信の大好きな「勝どき飯」

上杉謙信は仏門に入っていたこともあり、毎日の食事は非常に質素でした。ある日の謙信のご飯はこんな感じです。

おかずは野菜一品。
ご飯は麦飯or粟などの雑穀
そして味噌汁。

これが国のトップである大名が食べるご飯ですかと思うくらい質素倹約に努めていたそうです。しかしいざ出陣となるとこんなチンケなご飯ではなく、「勝どき飯」をお腹いっぱい食べて、酒をガツガツ飲んでから出陣したそうです。
謙信は自分が大好きな「勝どき飯」が食べられるから戦をしていたとか、していないとか…。

【シリーズ戦国武将】勝負ごとにピッタリ 上杉謙信の大好きな「勝どき飯」

現在でも勝どき飯が食べられるお店が

上杉謙信は出陣前に食べる「勝どき飯」を食べてから戦へ向ったそうですが、現在でも上杉謙信の故郷である新潟県上越市にあるから松やさんでは、戦国時代の上杉家が作った「勝どき飯」を再現しているそうです。私も試験前日に受かるようにと願をかけて「勝どき飯」を食べに行ってみたいと思います。みなさんも負けられない大事な勝負事の前に「勝どき飯」を食べてから乾坤一擲の勝負に挑んで見てはいかがですか。

Written by 廉

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【戦国武将シリーズ】信長、秀吉、家康に学ぶ現代を生き抜くためのサバイバル戦国飯

鳴かぬなら殺してしまえホトトギス、

鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス、

鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス、

言うまでもなく戦国三大武将の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の性格を言い当てた格言です。

短い言葉の中で3人のキャラクターが的確に言い当てた名フレーズだと思います。

 

そんなキャラクター=人間の礎になっているものは何よりも食事であると思います。

当時の3人の食事、好物について今日は迫っていきたいと思います。

 

そんなキャラクター=人間の礎になっているものは何よりも食事であると思います。

当時の3人の食事、好物について今日は迫っていきたいと思います。

001

 

信長は塩辛いものを好んで食べました。

これは現代人に比べて運動量が多いので身体が塩分を必要としていたことに起因し、

薄味の料理を出すと「水の味がする!」と言って気分を悪くしていたようです。

おかずに塩辛いものを好んだ半面、白米にお湯をかけただけの飯(ミソや漬物を添える場合もある)をよく食べていました。

これは食事に時間をかけたくない、と即効性を追求した結果で信長の性格がよく表れています。

もしインスタントお茶漬けがこの時代にあったらきっと毎日食べていたんじゃないでしょうか(笑)

 

また、非常に甘党だったという考察もあり、干し柿が好物だったとも。

信長と言えば宣教師から金平糖をもらったエピソードが有名ですが、きっとそれも美味しく食べたんだと思います。

002

↑このシンプルさこそ信長の神髄?

 

続いて家康です。家康の強みは長寿であったこと、時期をじっと待つ辛抱強さにあります。

実際に家康は健康オタクな一面があり食事にはかなり気を遣っていたようです。

家康は粗食と知りながらも麦飯を好んで食べていました。

麦は繊維質が多く、腸内善玉菌を増やし、コレステロール・発がん物質を除去し、

さらにビタミンの合成を手伝う働きがある健康食品です。

家康は麦を食べ部下に質素倹約する領主をアピールしつつ、実はちゃっかり健康に気遣っていたのでしょう。

食事にまで表裏があるのが狸親父と言われた家康らしいと思うのは私だけでしょうか。

家康が食べ物に関する知識が豊富であったことを裏付けるエピソードは他にもあります。

関ケ原の戦いで、土砂降りの雨で火が使えず生米を食べねばならない事態になった際、

家康は「消化不良を起こすからと、コメを水に良く浸し水を完全に切ってから食べるように」と命令しました。

一方で石田三成は敗走時に空腹に耐えかねて生米を食し、腹を下して動けなくなったところを取り押さえられたと言われています。

 

それだけ食事に気を付けながら鯛のテンプラだけは我慢出来なかったところも家康の面白い所だと思います。

003

↑我慢出来なくても仕方ない!?

 

さて最後は秀吉です、秀吉が好んで食べたのが味噌味の焼き蛸。

蛸のタウリンは脳機能の活性化、疲労回復に効果があり、きっと秀吉の精力的な行動、

頭脳労働の助けになったであろうことは想像に難くありません。

 

また彼の強さでもあり個性であるのが秀吉の「人たらし」の能力です。

家康の忠臣、石川数正もそのカリスマに惹かれたのか家康の元を去り豊臣に下っています。

秀吉はいつもニコニコしていて人を惹きつける何かがあった、と当時も多くの証言が上がっています。

 

そんな人たらしの秘密には彼の出生が関係していると言われています。

貧乏だった秀吉はドジョウや豆味噌といったものを食べていました。

それらの食材は幸福感をもたらす脳内物質「セロトニン」の主原料トリプトファンを多く含んでいます。

セロトニンのおかげで気持ちが前向きになっている秀吉はいつもニコニコしていて人にも好かれ、人材も寄ってくる。

その上、ストレスにも強く、柔軟なアイデアも湯水のように出て来たことでしょう。

これが秀吉というキャラクターの強みであったことは言うまでもありません。

004

↑ドジョウ鍋。トリプトファンがグツグツです

 

現代でトリプトファンが入ったもの食材醤油や納豆などの大豆製品、

洋食ならヨーグルトやチーズ、バナナと言われています。

セロトニンは朝の目覚めをスッキリさせる効果もあると言われているので個人的には

それだけでも大いに摂取する価値があります。

 

仕事、家事、勉強…、現代社会を生きる我々は彼らとは違った形である種の戦いを強いられています。

そんな現代の戦場を生き抜くために運動量が多い日は塩分を多目にとり、麦飯を食べセロトニンの多い食事を摂る。

そうすれば天下を取った武将たちのように我々も成功を収めることが出来るのではないでしょうか?

Written by tori

【シリーズ戦国武将】グルメ武将・伊達政宗にまつわる料理と面白エピソード

先日、当ブログで伊達政宗が料理好きでいくつかの料理を考案し

将軍にもその料理の腕を振る舞った、というどちらかと言えば

政宗の理知的な一面がうかがえる話を紹介しました。【シリーズ戦国武将】料理上手でグルメな武将・伊達政宗の好物を探ってみた

その一方で政宗にはエキセントリックな一面もあったようで

まずは1つ、食事にまつわる変わったエピソードを紹介したいと思います。

001

 

ある日、豊臣秀吉、徳川家康、前田利家、そして伊達政宗の4人が

諸大名に茶の振る舞いをすることになりました。

誰がどの大名を持て成すかはくじで決め,料理の内容や招待客は直前まで知らされない趣向でした。

政宗が持て成すことになったのは佐竹義宣、浅野長政、加藤清正、上杉景勝の4人。

よりによって政宗と仲の悪い大名ベスト5に必ず入るような連中でした。

「これは…、嫌がらせをしろということだな!」

普通の人はそう考えません。しかし独眼竜は伊達じゃない。

そこで政宗がふと台所を見ると、料理人が季節の野菜のお吸い物を作っていました。

それを見てさっそく何かを思いつく政宗。

当時のお茶の席ではコース料理が振舞われるのが普通でした。

その日もさっそく4人の大名の前に1品目の先ほどのお吸い物が置かれました。

ところがお吸い物が置かれるや否や、すぐに次の料理がやってきます。

4人は慌ててお吸い物を口にします。その時です、4人が不意に吸った椀から口を放し唇を押さえはじめます。

彼らの唇は、そろって真赤に腫れ上がっていました。

政宗は彼らが口にするお吸い物を必要以上にぐつぐつ煮立て熱々の汁にして彼らに差し出したのです。

その後に出された料理やお酒も、4人は唇が痛くて食べられなかったそうです。

政宗はそれを見て会心のガッツポーズをしたと記述には残っているとかいないとか…。

ちなみに後でこの話を聞いた秀吉は腹を抱えて大笑いしたそうです。

002

 

↑熱々のお吸い物、4人の気持ちを思うと…

他にもゲテモノ料理は美味しいからとネズミの味噌汁を作って死にかけたり、

二代目将軍秀忠を自邸に招き食事を出そうとした所で、将軍の側近に「毒見をしなければ出せない」と言われ

「毒殺は過去に考えたけどやるならそんな卑怯な手は使わず、戦争しとるわ!」と

天下の大将軍の目の前で本人に聞こえるように言い放ち大ヒンシュクを買ったりと面白エピソードには事欠きません。

ちなみにそんな徳川将軍に献上した料理で政宗お気に入りの一品が「白鳥の塩漬け」だと言われています。

どんな味がするのか想像もつきませんね。

(ジビエの白鳥食レポを見る限りでは普通の鳥と味は変わらないと書いてはありましたが…)

003

 

↑どんな味が…?

ちなみに料理作りに精を出したのは主に晩年のことでそのグルメっぷりがたたって肥満に悩まされたという伝承もあります。

そのため健康に気を遣い1日3本のタバコを吸っていた(当時はタバコは薬扱い)そうです。

江戸時代にニコチンがあったのか、本当に薬としての効能はあったのか、色々と気になる話ですね。

前回の記事の最後、政宗の格言を紹介しましたが、ほかにも政宗はこんな料理格言を残しています

「朝夕の食事うまからずともほめて食うべし」

食事が美味しいと思えなくても美味い美味いと言って食べれば作った人間も気分がいいし

細かいことで気に病むこともなく気持ちも健やかでいられる、という意味だと思っています。

これは食事に限らず人生においてもあてはまることなのではないか、と思います。

1日3回、食事をしていて時には決して美味とは言えない食事にありつく機会もあると思います。

そんな時でも気持ちは前を向いていつも笑っている、そんな気概を持っていきたいですね。

Written by tori

【シリーズ戦国武将】 真田幸村、悲しき兄との別れとこねつけ餅

人生で避けて通れない辛い出来事の1つに別れがあります。

恋人との別れ、同級生との別れ、死別のよる別れ…、

人は生きることとは別れの連続といっても過言ではないかもしれません。

別れは悲しいものだからこそ一緒にいる時間は何よりも輝くし、

一緒にいた時の想い出や記憶はかけがえのない物になるのだと思います。

今日は戦国武将との悲しい別れとそれにまつわる食のエピソードをひとつ、紹介したいと思います。

001

 

真田幸村

戦国最後の大戦、大阪の陣。

真田幸村は豊臣側、幸村の兄信之は徳川側、と兄弟同士がそれぞれ敵対する陣に所属していました。

これは徳川が勝っても豊臣が勝っても真田家は存続できる、という父真田晶幸の計略によるものでした。

「お家存続のためとはいえ、兄弟同士が戦うことになるかもしれないのに…」と自分なんかは思ってしまうわけですが

そもそも現代社会の価値観で死ぬか生きるかの戦国時代を計ることは出来ません。

話を戻すと、この「大伏の別れ」と言われる決断によって敵味方に分かれることになった真田兄弟ですが、出来れば兄弟とは戦いたくないと互いに思っていました。

002

 

大阪、夏の陣

幸い兄弟同士で直接刃を交えることもなく、戦は徳川側の勝利に終わろうとしていましたが兄弟同士の戦いは回避できたものの、豊臣軍に属する幸村には後がありません。

このまま豊臣のために戦い、そして果てる運命は決して避けられないものでした。

覚悟を決めた幸村は最後に兄信之の屋敷を密かに訪れ二人は別れの盃を交わします。

互いに今生の別れであることは察しながら酒を飲む2人…。

そして信之は最後の餞別に冷えた米を餅にし、それに味噌を塗り幸村に渡します。

その餅こそ、当時から長野(信濃)で食べられていた「こねつけ餅」でした。

そしてその数日後、幸村は徳川へ大特攻を仕掛け戦場で命を落としました。

最後に幸村がどんな気持ちでこの餅を食したのか…想像もつきません。

ひょっとしたら少年時代の兄との楽しい記憶を思い出していたかもしれませんね。

003

 

信濃(今の長野県)は内陸にあり水は豊富でなかったので米は貴重な食べ物でした。

なので米に小麦粉を足したものを焼くことで腹の足しにしていたのが起源と言われています。

そんなこねつけ餅ですが、長野県松代市にある真田邸や真田宝物館の近くで商品化されたものが売られています。

もし上田城などに行った際は足を延ばしてみてはいかがでしょうか?

004

 

また家で作る場合も作り方は非常にシンプルです。

1、米と小麦を半々混ぜる 

2、クルミ味噌を塗る

(昔は餅の表面に塗っていましたが最近はおにぎりの具のように餅の中に餅を入れるのがスタンダードです)

3、家庭用蒸し機で蒸す(電子レンジだとムラが出来てしまいます)

4、薄く油を敷いたフライパンで餅の表面を色が変わる程度に焼く

これなら家で作れるし、夜食やおやつにもピッタリですね。

お餅を食べながら家のため、主君のため、命も兄との別れもいとわず信念を貫き戦った男…。

そんな幸村の気持ちを想像してみるのも「オツ」かもしれません。

Written by tori

【シリーズ戦国武将】料理上手でグルメな武将・伊達政宗の好物を探ってみた

【シリーズ戦国武将】料理上手でグルメな武将・伊達政宗の好物を探ってみた

皆さんはどんな食べ物がお好きですか?ラーメンでしょうか。それともたこ焼き。もしくは焼肉でしょうか。
現代人である私達にも好物があるように、戦国時代の武将達にも好きな食べ物がありました。徳川家康は天ぷら好きで有名であり、信長は濃い味付けの料理を好んで食べておりました。
今回紹介する伊達政宗も美味しものが大好きで、実は自ら料理をするくらい好きでした。彼の料理の腕前は達人レベルに達していたそうです。

伊達政宗が調理を始めたのは兵糧研究がきっかけ

伊達政宗は自ら台所に立ってトントンと見事な包丁さばきで料理を作っていたそうですが、彼が料理をしようとしたきっかけは、戦における生命線である兵糧を研究しようとしたことがきっかけでした。
政宗が研究して開発した兵糧は現在にも残っており、仙台みそ凍み豆腐は彼が作って開発した料理であるとの言い伝えが残っております。

【シリーズ戦国武将】料理上手でグルメな武将・伊達政宗の好物を探ってみた

将軍様からも認められた料理の腕前

政宗はこうして兵糧の研究として料理を行っていたのですが、だんだんと料理にはまっていきます。ある時、徳川家三代将軍徳川家光をもてなさなければならなくなった政宗は、自らの料理で将軍をもてなすと公言。包丁を持って山海珍味を慣れた手つきで捌き、豪華なおもてなし料理を完成させます。
将軍家光は政宗お手製の料理を食べると大いに喜び、その料理の手腕を褒めたたえたそうです。また仙台名物の一つであるずんだもちも彼が自ら作った料理の一つと言われていて、現在にも残る政宗考案料理の一つです。

【シリーズ戦国武将】料理上手でグルメな武将・伊達政宗の好物を探ってみた

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