【戦国武将シリーズ】豊臣家家臣・石田三成が最後に食べた食事とは?
滋賀県の広報CMがとても面白いです。
https://www.youtube.com/watch?v=Bp_JCOWYorA
まさかの石田三成推し…、
石田三成は動画にもあるように1560年生まれ、
秀吉に仕え、その頭脳を豊臣の繁栄に注いだ人物です
三成が14の時、鷹狩りにやって来た豊臣秀吉の世話をしたことがきっかけで
近侍として取り立てられました。
その際の三成の機転の良さを示す食にまつわるエピソードがあります。
秀吉がお茶を所望した際、最初に三成は
「大きな茶碗にぬるめのお茶」を注いで秀吉に渡しました
秀吉がさらにお茶を求めると次に「中椀にやや熱めのお茶」 を
さらにお茶を求められると最後に「小さな茶碗に熱くて濃いお茶」 を注いだ、と言われています。
この飲む人の気持ちを考えた三成の対応が秀吉の心を打ち、
重用に至ったのだそうです。
それから豊臣家のために秀吉の懐刀として活躍した三成、
動画では武将としても人間としても誠実な人物のように動画では描写されていますが
実際のところ、周りの武将からは相当な嫌われていた模様です。
朝鮮出兵の際、加藤清正、福島正則などの諸大名や兵士たちは
想定していない寒波に襲われる過酷な戦場の最前線にいました。
三成は最前線ではなく、秀吉に戦況を報告する連絡サポート係を務めていました。
その際、三成は過酷な現場にいる武将たちの命令違反やミスや士気の低下などを
こと細かに秀吉に報告していた、と言われています。
確かに風紀は大切です。しかしその場にいない人間が
温かい場所で好き勝手言ってればそれは過酷な現場の人間からしたら面白くはありません。
加藤清正や福島正則からは石田三成が
帰りのホームルームの女子のように見えたことだろうな、と思います。
親友も大谷吉継も関ヶ原の戦いの際には三成に
「お前がボスだと人が集まらないから毛利や宇喜多を立ててお前は裏方をやれ」
などと言いだす始末。
そんなわけで、西軍の実質リーダー的存在でありながら裏方に回った三成でしたが
家康率いる東軍に破られ囚われてしまいます。
この際、家康は腹を壊さないように生米を水に浸して食べたのに対し
三成はそのまま食べたことから下痢になり捕まってしまった、というエピソードが残っています。
捕えられた三成は処刑される前日、最後に何を食べたい?と聞かれます
三成はその際、腹の調子を整えるためのニラの雑炊を食べたい、と言います。
「腹の調子って…お前は明日死ぬんじゃないかw」 と周りの人間は三成を笑います
三成はしかし
「大望を抱く人間は首をはねられる間際でも命を惜しみ本懐を遂げたいと思うものなのだ」
と返した、という史実が残っています。
その後三成は斬首をされ、豊臣家の復興は叶わなかったわけですが
その不屈の精神は今を生きる我れれも見習うべきものがあるのかもな、と思いました。
by tori