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受験中の食事の参考にしたい!北条氏綱は○○○で戦に勝利?戦国時代の験担ぎ

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受験中の食事の参考にしたい!北条氏綱はカツオで戦に勝利?戦国時代の験担ぎ

毎日の受験勉強お疲れ様です!
受験戦争を勝ち抜くために、縁起の良い語呂の食べ物を食べて試験に臨む受験生もいらっしゃるのではないでしょうか?
そんなふうに縁起のいい語呂合わせで験担ぎをしたのは、まさに命をかけた戦争をしていた戦国時代も同じだったのです。

受験中の食事の参考にしたい!北条氏綱はカツオで戦に勝利?戦国時代の験担ぎ

北条氏綱が喜んだ「勝つ魚」

天文6(1537)年の夏。相模国(神奈川県)小田原の近海では多くの釣り船がカツオを釣るために海士が漁に出ていました。それを聞いた北条氏綱は、海士の漁を見物するために、舟を出したのです。
酒を飲みながら楽しんでいたところに、1匹のカツオが氏綱の船へ飛び入ります。氏綱はこれを喜び「勝負にかつうお」だと言い、すぐに酒の肴にしました。
同じ年の7月上旬。氏綱は武蔵国(現在の東京都・埼玉県)を治める上杉五郎朝定を攻めるために出陣すると、15日夜に戦に勝利。武蔵国を治めるようになったのです。
その頃の北条氏は全方位に敵があり、戦が止むことがない毎日でした。氏綱が賞味したカツオは「勝負にかつうお」ともてはやされるようになり、北条家の侍達は常にそれを準備して、戦場に出る時の酒の肴にはカツオが欠かせないものになりました。

この話は、寛永18(1641)に三浦浄心が書いた『北条五代記』に載っています。北条氏綱は、大河ドラマ真田丸で登場した北条氏政の祖父にあたる人物です。

受験中の食事の参考にしたい!北条氏綱はカツオで戦に勝利?戦国時代の験担ぎ

カツオハプニングを歴史からみると

この頃の北条氏はまだ安定した勢力ではなく、上杉氏をはじめ、昔から関東を治めていた一族と激しい戦闘を繰り返していました。
そしてこの天文6年。実は4月に上杉朝定の父が病死し、代替わりしたばかりだったのです。家中も何かと変化し、ごたつくこともあったでしょう。百戦錬磨の氏綱がそれを見逃すはずがありません。朝定を攻めるための準備を着々と進めていたのではないでしょうか。

そんな時に、船に飛び込んできたカツオ。氏綱にとっても良い知らせと受け取り喜んだのはもちろんですが、それをアピールすることで家臣を奮い立たせようとしたのかもしれません。

この時の験を担いで後の北条氏でも出陣でカツオが用意されるようになったということは、この時の勝利が後の世にも語り伝えられる大きな節目となる勝利だったのでしょう。またカツオは当時の小田原でも獲れるので、北条氏にとっては手に入りやすかったということもあるかと思います。

受験中の食事の参考にしたい!北条氏綱はカツオで戦に勝利?戦国時代の験担ぎ

語呂合わせに願いをこめた戦国時代

北条氏がカツオを験担ぎで用いたように、日本では古くから縁起が良い語呂を儀式にとりいれています。
戦国時代に合戦へ出陣するときには、大将と家臣達で戦勝祈願のために「三献の儀式」が行われていました。この儀式は「打鮑(うちあわび)」「勝栗(かちぐり)」「昆布」を食べ、敵に「打ち」「勝ち」「喜ぶ」ことを願う儀式です。
見事に勝利して凱旋した時には、食べる順序が変わります。「敵に勝ち(勝栗)、打ち(打ち鮑)、よろこぶ(昆布)」という順序で食べるのです。

受験中の食事の参考にしたい!北条氏綱はカツオで戦に勝利?戦国時代の験担ぎ

日本では古来より「言霊」の信仰があり、良い言葉を発すれば良い事が起こるとされていました。明日の命も知れない戦国時代、この縁起のいい語呂合わせを取り入れた儀式は自らを奮い立たせ、武士達の心理的な支えにもなったことでしょう。
現代でも、縁起の良い語呂合わせをに願いをかけるのは同じですね。受験戦争真っ只中…少しでも運を掴みたい人は、ぜひ縁起の良い名前の食べ物に願いをこめて、勝利をおさめてください!

Written by ハヤミ

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