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美味しいからって天ぷらを食べ過ぎて亡くなってしまった歴史上の人物って!?

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歴史上のあの人も愛した料理・天ぷらの歴史

エビやイカ、季節の野菜などを衣液につけて油で揚げると、お蕎麦屋さんや天ぷら屋さんで食べるサクサクした天ぷらが完成します。天つゆにつけて食べてよし、お塩をまぶして食べてよし。さくさく頬張る天ぷらは、ビールやお酒のお供としても最高ですよね。
一体この料理はいつごろ誕生したのでしょうか。

徳川家康と天ぷら

天ぷらはポルトガルで誕生した、といわれています。当時ポルトガルでは神様へお祈りを捧げるため、月の初めに節食する習慣がありました。この期間は魚介類を衣で上げた料理を食べる習慣があり、ポルトガル語で「テンポラ」と呼ばれていました。 この「テンポラ」がポルトガル人によって日本に伝えられ、「テンポラ」が訛って「天ぷら」と呼ばれるそうになったそう。
ポルトガルから天ぷらが伝えられた地・長崎には新しい物好きな庶民が多く、天ぷらもすぐに受け入れられて大人気料理へと成長します。
その後、天ぷらは関西へ進出、人気の波は更に関東へと向かいます。

徳川家康と天ぷら

江戸でポピュラーな食べものとして上り詰めた天ぷら

関西では野菜をメインとして提供されていた天ぷらですが、江戸の地では魚介類を揚げた天ぷらが多く提供されました。
また、江戸では現在のようにお店を構えて販売するスタイルではなく、屋台で誰でも気軽に食べられるようにして、気軽に食べられるイメージをアピールします。今でいうファストフードだったわけです。
この二つの作戦が大いに成功し、庶民からの人気が急上昇、天ぷらは関東地方の庶民から愛される郷土料理の地位を確立することになります。

徳川家康と天ぷら

浮世絵画家・月岡芳年の『風俗三十二相』にも天ぷらを食べる女性が描かれています

江戸幕府を開いた徳川家康も天ぷらが大好き

さて関東地方で庶民から愛されることになった天ぷらですが、徳川家康もこの天ぷらが大好きでした。 彼と天ぷらの出会いのきっかけは、京都の豪商として知られる茶屋四郎次郎から紹介されたことがきっかけ。彼が食べた天ぷらは公家から送られて鯛を揚げ、そのまま食べるのではなくニラの醤油に漬け込んでから食べるものでした。
家康はその魅力にすっかり惹かれることになります。

徳川家康と天ぷら

天ぷらを食べ過ぎて腹痛、そして…

彼はそれはもうガツガツと、天ぷらを食べに食べて大満足で床につきます。
しかし夜中、お腹に激痛を感じて幾度もトイレへ。だが激痛は収まることなく続きます。苦しんで苦しんで痛みに耐える家康ですが、ついにそのまま翌日、ポックリと亡くなってしまいます。
そんなバカなと思われるかもしれませんが、今でも彼の死因の一つとして挙げられているそうです。この話が本当だとしたら、今でも天ぷらが原因で亡くなる人がいてもおかしくありません、恐ろしい話です…。
みなさんも家康のように死んでしまわないよう、天ぷらの食べ過ぎにはくれぐれもご注意を…

Written by 廉

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