『作りたい女と食べたい女』食にまつわる女性への偏見って?
(出典:https://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_FS00202041010000_68/)
(『作りたい女と食べたい女とは?』)
皆さんこんにちは!
今回は漫画『作りたい女と食べたい女』を元に食にまつわる女性への偏見について考えてみようと思います。
ゆざきさかおみによる漫画『作りたい女と食べたい女』は料理をたくさん作りたい女、野本と食欲旺盛な隣人春日と出会うことでお互いの「食」に関する願望を満たしていく物語です。とてもハートフルな物語で料理を作る喜びや、食べる喜びを思い出させてくれる一方で、読者に食にまつわる女性への偏見について考えさせてくれる作品でもあります。
今回は私がこの作品を読んで感じたことを述べようと思います。
(全部男のため)
『作りたい女と食べたい女』第一話の前半では野本がいかに料理好きであるかが描かれます。毎日どんな料理を作るか考え、買い出しをし、実際に料理するそれによって野本は日々幸福を感じていました。
ある日野本は職場に手作り弁当を持っていきました。すると同僚の男性がやってきてそんな野本を褒めます。しかし野本はそれによって深く傷つきます。なぜか? 男性の言葉は「いい奥さんになる」「彼女には弁当を作ってもらいたい」といった料理を作ることが「全部男のため」という前提で発された言葉だったからです。
私はこれを見て男性の中では性別役割分担の考えが根強くあるな、と思いました。
いわゆる男性は仕事、女性は家事といった考え方です。
本来、性別によって役割分担が決まるわけではありません。しかし戦前、戦中に強固となった性別役割分担の意識が未だ根強く残っているため漫画で男性がしたような無意識な性差別が行われるのです。
(出典:いらすとや)
自分もこのような差別を受けたことがあります。
自分も野本と同じように料理をするのが好きなのですが、祖父母の家で料理を作ろうとしたら「男がそんなことをしなくていい」と言われました。その時自分は自分の好きなことを
性別のせいで否定され悲しい気持ちになりました。
野本は別に否定をされた訳では無いですが、自分のためにしたことを「全部男のため」として回収されてしまいました。それってなんだか気持ち悪いですよね? あくまで自分のためにやったことなのにそれを男のためだと考えるのは傲慢が過ぎると思います。
(ごはんの量少なめにしときましたよ!)
第二話の前半は野本の隣人春日にスポットが当たります。食べることが大好きな春日は定食屋に行き、からあげ定食を注文するのですが明らかに隣の客よりもご飯の量が少なめです。春日が店主に尋ねると店主は笑顔で「ごはんの量少なめにしときましたよ!」と告げます。しかし、春日は毅然と「普通に注いでください」と言います。
ここにも女性の偏見が潜んでいます。
店主はおそらく善意からご飯を少なめによそったのでしょう。
しかしそれは無意識に性差別を行っています。
「女性は少食」
「女性はカロリーを気にする」
といった偏見が店主の中にはあることが伺えます。
「女性は少食」?ほんとでしょうか?
「女性はカロリーを気にする」? ほんとでしょうか?
女性の中にもいっぱい食べるのが好きな人もいるはずです。
カロリーを気にせず好きなものを好きなだけ食べる人もいるはずです。
もしも自分が男性だからという理由でお腹いっぱいなのに無理やりご飯をたくさん食べさせられたらきっと嫌な気持ちになります。
きっと春日もたくさん食べたくて定食屋に言ったのに自分だけ量を減らされてとても残念な気持ちだったのではないでしょうか?
(出典:いらすとや)
(私作る人。僕食べる人)
昔、「私作る人。僕食べる人」というキャッチフレーズのCMが性別役割分担の固定化を助長しているとして物議を醸しました。
(出典:https://girlschannel.net/topics/2716683/4/)
今回紹介した作品の中にも「私作る人。僕食べる人」の意識を持った人物が出てきます。あのCMが撤廃されてもなお、その意識は根強く残っているのです。
しかし作品を通して感じたのはそんな勝手な役割分担に意味はないということです。
自分が作りたいから作る。男性のためじゃない。
自分が食べたいから食べる。性別なんか関係なく。
それを『作りたい女と食べたい女』は私に伝えてくれました。
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