食べたことのない味で舌が震えた、極めて特殊な食感で全身に鳥肌が立った、耽美なルックスに喉が鳴った、独特な匂いに興奮し、思わず目の前で一緒に料理を食べている異性と過ごす今夜を思い描いた…
…生牡蠣はまさに官能的な食材の代表だ。
「…なんか全身が生牡蠣になったような感じだったんです」
そう表現してみせたのは、短編小説『フレッシュ・オイスター』を書いた、作家の村上龍である。作者の名作の一つ、『村上龍料理小説集』は、32の短編が集まった「料理小説」だ。
官能的な料理というものは、ただ美味しいというだけではなく、「出会い」という魅惑に包まれている。食の魅力は必ずしも味だけではない。いくら素晴らしい味だとしても、一人寂しく孤独に食べることには、実はあまり意味がない。神秘的な野生の食材を使用して恐ろしいほどに作り込まれた貴重な料理を前に、時間を共にする相手との特別な夜。遠く離れた外国の土地で、歴史と伝統を感じる料理に舌鼓をうって、文化の中枢に触れる知的な時間。人はそのストーリーの贅沢さに、秘密に、快感に、罪の意識さえ感じ、官能的な魅力を実感するのだ。
そのエロティックで背徳的な気分を短い時間で一気に楽しめてしまう、それが『村上龍料理小説集』の魅力なのだ。
小説の舞台や回想シーン、テーマになっている料理の種類は、32話の短編でそれぞれ異なっている。…マンハッタンのリトルイタリー、ラップランド地方やリオ・デジャネイロ、赤坂やオールド・デリーのダウンタウン…味わう料理は、「骨付き仔牛のカツ」・「トナカイの生レバー」・「豚の臓物入りフェジョアーダ」・「ふぐの白子」・「ヤギの脳味噌のカリー」など、内臓が騒ぎ出すような美食料理がさまざまだ。
中でも、先述した『フレッシュ・オイスター』には特に惹きつけられる。語り手の男性と、キャビンアテンダントの女性は、2ヶ月間に3度、偶然の出会いを繰り返す。そのはじまりが生牡蠣に関する出会いで、一度目はニューヨークのオイスター・バー、それからシンガポール、千葉、そして4度目がパリ、サン・ジェルマン大通りだ。
「セクシーだったわ、(中略)…生牡蠣のことを考えてたらあなたに会ったんです」
「…全身が生牡蠣になったような感じだったんです、そしたらあなたに会ったから、びっくりして、まだ心臓がドキドキしてます」
そう語る女性の艶かしいセリフに、エロチシズムを感じずにはいられない。「全身が生牡蠣になった感じ」、とは一体どういうことだろうか?男性のことを本能で肌が直接的に求めていたのかもしれないし、あるいは細胞が味と映像を記憶していて、思い出しているうちに頭の中が生牡蠣のように溶けていきそうになったのかもしれない。いずれにせよ、はっきりしていることは、「全身が生牡蠣になった感じ」、とは味わったものだけが知る、「食」だけがもたらす特権的な快楽だということである。 「全身が生牡蠣になった感じ」を味わいたい方、また相手に味わって欲しい方は、『村上龍料理小説集』を手にとって開いてみることをお勧めする。
「…罪を食うとオレたちは元気になる」
そう作中にもあるように、32の短編料理小説は、私たちの人生を間違いなく充実させてくれる。そして、世の中に渦巻く巨大な快楽の秘密を少しだけ、まるで耳元で囁くかのように、そっと教えてくれるのだ。
10月7日(土)から9日(月)に東京・代々木公園イベント広場で行われた、「九州観光・物産フェアin代々木 2017」に行って来ました!
今回訪れたのは、2日目の8日の日曜日。天気は見事な晴れ。会場には大勢のお客さんが訪れ、賑わっていました!
グルメに関するブースは全部で41店も!
会場を歩いていると、どこからともなく炭火で焼かれたいい~香りが!
香りに連れられて1品目は、天草元気プロジェクトさんの天草大王の炭火焼きを頂きました。
鶏肉はぷりっとしていて、歯ごたえが抜群!
塩加減が絶妙で、思わずビールが欲しくなる味。
噛むたびに、肉の味がガツンと来てたまりません。
食べた後に肉の旨味が、口の中に残ってくれるのも幸せ。
キャベツと交互に食べれば、もう箸が止まらない!
嵐の二宮和也さん主演で映画化されると話題の小説が『ラストレシピ~麒麟の舌の記憶~』。
あの伝説的人気番組『料理の鉄人』を手掛けた田中経一氏の小説デビュー作だ。
『ラストレシピ~麒麟の舌の記憶~』は、戦争の混乱の中で消失してしまった200品を超える壮大なコース料理「大日本帝国食彩全席」のレシピをめぐるストーリー。
物語は現代の日本と、第2次世界大戦頃の満州、2つの時代・2つの土地をつないでゆく。
かつて清の始皇帝が宮廷料理人に作らせた“世界で一番スケールの大きなコース料理”が「満漢全席」と呼ばれていた。
第二次世界大戦の時代、日本の威厳を示すことを目的として、その「満漢全席」を超えるコース料理を作れと命じられたのが1人目の主人公・西島秀俊さん演じる山形直太朗。
彼は絶対味覚、つまり“麒麟の舌”を持つ料理人で、天皇の料理番を勤めていた男だった。
この命令により山形は、「大日本帝国食彩全席」制作に専念するため単身満州へと渡り、その生活全てを捧げて13年の年月をかけてレシピを開発することとなる。
一方、二宮和也さん演じるのは現代日本に生きる2人目の主人公・佐々木充。
彼もまた“麒麟の舌”を持ち、どんな料理でも再現してみせる特技を持っているのだが、料理に情は不要、技術の鍛錬こそが必要だという考えで、料理への情熱を失ってしまっていた。
佐々木は、依頼人が人生最後に食べたい物を再現して高額の報酬を得る「最期の料理人」として働いていたが、その再現能力を聞きつけた男に、消失してしまっていた「大日本帝国食彩全席」レシピの再現を依頼される。
今回取り上げるのは、以前紹介した『きりこについて』に続いて、西加奈子さんの作品です。
『うつくしい人』は32歳の蒔田百合という女性が主人公。
百合は自意識過剰な性格で、常に他人の目に対して怯えながら過ごしています。
「他人から見て、自分はどう見えるか」が物事を決める尺度となっていて、歴代の彼氏も「連れていて自慢できるかそうでないか」が決め手でした。
学生時代には嫌いではない(むしろ好きだった?)クラスメートへのいじめに加担していて、その過去が百合の心の暗い闇の原因となっています。
このように「好きでも無い彼氏と付き合う」「嫌いではないクラスメートをいじめる」など、自分の意志ではなく「他人の目」を基準に生きていくようになった理由の大きな存在が「姉」です。
百合の「姉」はとても「うつくしい人」であり、純真無垢な女性です。
純真無垢すぎて、学生の頃のある事件を皮切りに人間関係につまずき、ずっと「ひきこもり」をしています。
しかし、ひきこもりとなった今でも、姉は美しく、やさしく、やはり純真無垢なまま存在しています。
他人の目を気にしなさ過ぎて社会生活を送れない姉を反面教師のようにして、他人の目を気にすることで自分を守ってきたつもりだった百合でしたが、あることがきっかけでとうとう職場で急に泣きだしてしまいます。
それほどに、自らを他人の視線から追い込んでしまっていたのでした。
突然泣き出すという醜態をさらしてしまった百合は、一人旅に出ます。
この旅立ちの場面では、百合の病的なまでの自意識の描写が読んでいて辛いほどです。
しかし、百合はこの旅行でとあることに気づき、大きな変化を遂げるのです。
ホテルについた百合は、ホテルのバーへ行きます。
そこで、ちょっと失礼でうだつの上がらないバーテンの坂崎と謎のドイツ人マティアスと出会います。
この二人が、百合の救世主となるわけですが、ここで注目したいのが「ビール」です。
この小説は主人公である百合の語りで物語が進んでいきます。
先ほど書いたように、百合は他人の目を非常に気にします。
あの人にとって自分はこう見えているのではないかという考えはもちろんのこと、あの人、本当はこの仕事がしたくないのではないかという、少々余計なお世話なことまで考えています。
つまり、百合の頭の中は他人と自分のことでいっぱいなのです。
しかし、ビールを飲む瞬間はその百合の頭の中の独白がスっと消えているような感覚を覚えるのです。
つまり、何も考えていない、素の自分が出ているような感覚です。
このホテルの場面以外にもビールを飲むシーンは何度かあるのですが、特に前半の百合がまだ苦しんでいる時にすら、そのように感じました。
重苦しい世界の中、ビールだけが軽やかに百合の喉を潤しているような印象でした。
百合はお金持ちのお嬢様で、身に着けている物はすべて一流です。
歴代の彼氏も外車を乗り回しているようなタイプばかり。
そんな百合がバーであえて「ビール」を自然にオーダーしていることから、そのような印象を持ったのかもしれません。
だって、お嬢様ならシャンパンとか何だかおしゃれな飲み物を頼みそうだと思いませんか?
きっと、「大好きなビールを飲みたい」と思う、百合自身の隠れていた意志が自然と出ていたシーンだったのでしょう。
好きな飲み物(特にお酒!)を前に、自分を偽ることなど出来ませんものね。
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他人の目を気にして、びくびくと生きている百合は、単純なミスがきっかけで会社をやめてしまう。発作的に旅立った離島のホテルで出会ったのはノーデリカシーなバーテン坂崎とドイツ人マティアス。ある夜、三人はホテルの図書館で写真を探すことに。片っ端から本をめくるうち、百合は自分の縮んだ心がゆっくりとほどけていくのを感じていた-。
ちょっと感傷的になったり、気持ちに整理がつかない時…ちょうどいい距離感で優しく話を聞いてくれ、おいしいお酒を作ってくれるバーでマスターとおしゃべり、なんて出来たら良いですよね。
今回紹介するのは、吉村喜彦さんによる小説『バー・リバーサイド』です。
舞台は東京・二子玉川にある席数わずか7席の小さなバー・リバーサイド。
静かな空気感の落ち着いたお店で、マスターの川原草太とスタッフの新垣琉平が働いています。
彼らと6人の個性的な常連客が繰り広げるのは、それぞれの世界で様々な境遇を経た者たちならではの印象的な会話劇。
物語は5つの短編で構成されていて、ページ数も多くないので、あっという間に読み終えてしまいます。
全ての短編にそれぞれの会話にちなんだお酒や料理が登場するのですが、作者の吉村さんは元サントリーの宣伝部勤務というだけあって、その描写が独特なのです。
たとえば、うどん店で働く客・井上が語るのは、あの世とこの世に関するちょっとスピリチュアルな話題。
スタッフ・琉平が出身地である沖縄特有の死者の埋葬方法を語り始めます。
沖縄には洞窟が多く、昔はその中に亡くなった人を葬って、亡くなって七年後に親戚がその骨一本一本を丁寧に泡盛で洗ったそう。
使う泡盛はできれば、与那国島で作られる60度の泡盛・花酒がいいとされていたといいます。
井上が静かに相槌を打ちながら琉平の話を聞いていると、突然マスターが目を輝かせていいます。
「あ、いいカクテル、思いついた!」
シェイカーに氷を入れ、花酒をとろりと注ぎ、
シャカシャカ、シャカシャカッ—-
マスターがシェイカーをかなり激しく振り続ける。
シェイクの決め手は
氷を微妙に溶かし、酒に水を入れることだ。
水と空気によって、酒が開かれ、香りがたち、液体の味はまろやかになる。
円錐形のグラスに、できたかカクテルをやさしく注ぎ入れた。
シェイクのおかげで、液体の色は、ほんのり霧のかかったような乳白色。
グラスには、きめ細かい霜がびっしりとついている。
マスターは表面張力ぎりぎりまでグラスに液体を注いだ。
グラスの縁の液体が、ぷっくり膨れてエロチックだ。
「マスター。これ、何ちゅうカクテルなん?」
「花酒シェケラート。花酒をシェイクしただけ。」
花酒シェケラート、こんな素敵な文章で描かれると味がとっても気になりますよね。
他にも、紹興酒と烏龍茶で作るドラゴン・ウォーター、桃のカクテル・ベリーニ、ジョニ赤のハイボール…様々なお酒が個性豊かに登場します。
フリーライター・森の話題は、少しディープな人間関係の悩み。
落ち込み気味の森にマスターが差し出すのは、ダーティ・マティーニです。
こんな言葉をかけます。
「マティーニは時を重ねるごとに、どんどんドライになっていきました。でも私は、影と湿り気のある方が好きなんです。だから、森さんにはこのカクテル。
切れ味が過ぎると、その鋭い刃で、自分が怪我をすることになります。加減が難しい。少し澱(おり)を残しておいた方がいい。そう。自分の『いい加減』を見つけることがたいせつです」
こんな風に、マスターの心に響く名言が飛び出しまくるのも、この小説の魅力の一つ。
その言葉の数々は決して説教臭かったり押し付けがましいことはなく、常連客達の心に寄り添おうとしているようで、説得力があります。
おいしいカクテルや料理と共に、人情味あふれるマスターの言葉たちが、お客さんの悩み・葛藤・迷いをそっと包んでくれるバー・リバーサイド。
読んでいると、常連客達の心や体のどこかに詰まっていた何かがすっと押し流されていくのを見守っているような感覚になります。
帰路につく頃に、どこかすっきりとした表情になっている彼らの顔が浮かぶよう。
春や初夏の涼しい夜、お酒を片手に是非読んでいただきたい一冊です。
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二子玉川にある大人の止まり木「バー・リバーサイド」。炭酸の音とジンとライムの爽やかな香りが五感を刺激するジン・トニック、水の都で生まれた桃のカクテルベリーニ。月の光がウイスキーになったムーンシャイン、真夜中のペペロンチーノ。チェダーチーズにギネスを混ぜ込んだポーターチーズ…など。マスターの川原とバーテンダーの琉平は、おいしいお酒&フードとあたたかな心づかいでお客を迎える。「花の酒、星の酒」「自由の川」など五篇収録。
「ショートショートの神様」と呼ばれ、SF作家として認知されている星新一の時代小説があるのをご存じでしょうか。
その名も『星新一時代小説集』です。
文庫で出版されているのは、「天の巻」「地の巻」「人の巻」の3冊。今回のテーマは「天の巻」に収録されている「殿さまの日」というお話に出てくるごはんです。
「何万石の大名」というフレーズを聞いたことがあると思います。
この「石(こく)」は、お米の量を表す単位。
江戸時代は、そのお殿さまの領地は面積ではなく、収穫できるお米の量「石高」によってその広さを表していました。
もちろん、石高の高い大名ほど力が強いことは言うまでも有りません。
1石=1,000合だそうで、いったい何合炊きの炊飯器がいるのかと、どうでもいい想像をしてしまいそうです。
私は時代劇や大河ドラマを観る程度の知識しかなく、今までで読んだことのある時代小説も「鬼平犯科帳」くらいでしたので、この時代のお米の重要性がこんなにも大きいとは知りませんでした。
収穫できるお米の量は大名の力を表すだけではなく、すべての人々への生活に直結したものだったのです。
「殿さまの日」は、そんな時代のとあるお殿さまの1日が書かれています。
殿さまは一日中、いろいろな事を考えています。回想、妄想、思想さまざまなことが頭をぐるぐると支配している様です。しかし、いろいろな事を考えても、立場上直面した問題を解消することが出来ません。
というのも、殿さまが問題解決のために何かをしようとすると、家臣によけいな気づかいをさせてしまうばかりか、幕府や他藩との関係に変化が起こってしまいますので、なかなか行動を起こす事ができません。
そのため、殿さまはいつも通りの1日を何事もないかのように過ごすしかないのでした。
そんな殿さまの一日の最初のご飯は、朝8時の朝食です。ご飯の為のお座敷に移動していただきます。
メニューは「うめぼし、大根のみそ汁、とうふの煮たもの、めし」だそうで、意外と質素。
つぎの間に控えている「毒見役」が一通り口に入れて、問題が無いか確認。さらにその毒見役を監視する小姓もいます。
そんな厳戒態勢の中、殿さまの前に運ばれてきたごはんはすっかりぬるくなっています。
「たまには温かいご飯が食べたいなぁ」とでも思うのかと想像していましたが、殿さまは子どものころから、ぬるくなったご飯しか食べたことがないので「料理とは、ぬるくつめたいものなのだ」と殿さまは「思いこんで」いるそう。
温かいご飯を食べたことがないので、そもそもホカホカの温かいご飯の存在を知らないということなのです。
何だかとてもかわいそうな気がしてきました。殿さまとは本当に窮屈なお仕事です。
すべてが形式にのっとっていて、平和な時代でさえも「毒見役」が必要なのです。
思案ばかりしている殿さまがその存在に疑問を抱いても、形式上その役職に人間を置いておかなければいけません。
食事中に小姓に何と話しかけるかも、吟味に吟味を重ねた他愛のない形式張った言葉です。
いつも周りにいる側近たちですら、殿さまが形式張った行動をとる裏でこんなに思案をしているとは、露ほども知らないでしょう。
正午には「すまし、野菜の煮つけ、いわしのひもの、めし」と、やはり思いのほか質素なお昼ご飯を食べます。
もちろん、形式上毒見役を経由しているので冷えています。
食べながら、「たまには変わったものが食べてみたい」と思いつつも「無理なことだ」とあきらめている殿さま。
ひとことそんなことを言ってしまえば、料理係が責任をとらされ、さらに食費が財政を圧迫してしまうと容易に想像できるからです。
夕飯も代り映えのしないメニューを食べ、甘い物(干し柿)か酒どちらにするか問われた殿さまはぬるくなったお酒を飲みます。
物足りない気持ちもありますが「殿さまのからだは藩のものでもある」ため、自らの欲求のために必要以上の飲酒はできません。
お米の取れ高が重要だった時代の大名(殿さま)が、ご飯が最もおいしい状態、つまり炊き立てのご飯の美味しさを知らないとは、何だか切ないですね。
物語のキャラクターとはいえ、藩のトップという立場の殿さまの周囲すべてに気を使いながら過ごしている様子が、家庭で奥さんに気を使って肩身の狭い思いをしている旦那さんのようで、何だか胸がきゅっと締め付けられてしまいました。
読了後、炊き立てご飯を食べてながら、自分の国で収穫されたお米をしっかりと味わい、こんな平和な世の中にしてくれた先人たちへ思いを馳せていきたいな…と少々感傷的になってしまいました。
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わたしは彼らと違うのだ。いかにむなしくても、それはどうしようもないことだ―。殿さまには殿さまの悩みがあって、些細な物事にも思いを馳せる(『殿さまの日』)。“ショートショートの神様”が、斬新な切り口によって描き出す傑作時代小説集第一弾。
重松清著の『また次の春へ』は、2011年3月11日の「東日本大震災」をテーマにした、7編の短い物語が集められた1冊です。
“その日”の話というよりは、“その後、残された人たち”の話に焦点を当てていて、感傷的なお話ではなく、ほとんどが現実的で人の感情がじわじわと心に入りこんで来るようなお話ばかりです。
津波にさらわれたまま、見つからない息子や親。残された家族は、「ただいま」って帰ってくるんじゃないかという思いと、もうだめなんだろうという思いの狭間で揺れ動きます。残された人々は、それぞれの想いを抱えたまま生きていくことになるのです。
読んでいる最中は、目を背ける事をしてはいけないような気持になり、ほとんど貪るように読みふけってしまう、そんな本でした。
その7編の小説のうち、特にじんわりと心に染みたお話が「トン汁」です。
この「トン汁」というお話はのスタートは東日本大震災ではありません。主人公の母親が急死し、そのお葬式から帰ってきた場面から始まります。
母親は冷え込んだ早朝、トイレに行こうとした瞬間に倒れて、脳溢血(のういっけつ)で亡くなりました。この時、主人公は小学3年生。中学1年生の兄と小学5年生の姉がいました。それから、これまで料理をしたこともなかったであろう、父親。残された4人家族は、呆然としたまま葬式が行われた田舎から帰宅したのです。
帰宅してしばらく後に、お隣のおばさんが申し訳なさそうに“生協の食料品”を持って訪ねてきました。2週間前に母親が注文した食材が届いたので、預かっていてくれたのです。生前、母親が注文しておいてくれたシーズン前の酸っぱい「いちご」を、それぞれの方法で食べる子どもたち。
いちごを食べ終わると同時に、今まで黙ってこたつに入っていた父親がこういうのです。
これが、この家の味となる「トン汁」が誕生した瞬間でした。“腹、減ってないか”。
父親がこの日作ったトン汁の具は、生協から届いた“豚肉のコマ切れ”と“モヤシ”でした。母のトン汁とは大違いの具材でしたが、父親は“モヤシだったら包丁も使わずにすむんだし”“お父さんのオリジナル料理だ”と言って、笑います。この時、主人公ははじめて「お母さんがもういない」現実を目の当たりにして、ようやく泣く事ができたのです。
父親が初めて作ったトン汁は、あまりおいしくありませんでした。しかし、このトン汁はその後“我が家にとって大切な、特別な料理になった”のです。もちろん、具は「豚肉」と「もやし」のみのままで。
その後、3人の兄弟はそれぞれ大人になり、結婚後も「トン汁」を特別な料理として、それぞれの家庭で作り続けます。兄は父親のオリジナルレシピのまま、姉はいろいろなアレンジを加えながら、そして主人公は豆腐を入れたトン汁を“わが家のトン汁”としています。
この家族にとっては、トン汁が「家族の団結」の味であり、傷ついた気持ちを何とか守ろうとする、後ろ盾のようなものだったのだろうと思います。
母親の急死という突然の出来事に戸惑い、泣く事すらできなかった残された家族たち。そのどうしようもない気持ちを、父親が作る温かいトン汁がまとめてくれました。
「家庭の味」や「おふくろの味」ではなく、その瞬間でしか生まれない「我が家の特別な料理」は、奇跡にも近い味。「失恋した日に食べたスイーツ」や「受験前日に食べたごはん」…特別な料理が生まれるきっかけは、誰にでもあるものです。その時の味や気持ちは、いつまでも忘れられない大切なものとなって、その人の心に残り続けるのです。
江國香織著『間宮兄弟』は、佐々木蔵之介さんとドランクドラゴン塚地武雅さんでの映画化も話題になった作品です。
主人公は明信と徹信、趣味や価値観がちょっと不思議な兄弟。
作中で描かれる非モテな間宮兄弟の恋愛模様が、独特かつ滑稽、しかも妙に共感出来たりと、読んでいくうちに間宮兄弟の魅力に引き込まれていきます。彼らは、男性としての魅力はあまりないかもしれませんが、まさに「愛すべき人間」といった感じで、本人たちに自覚はなくともとても優れた人間力を持っている印象を受けるキャラクターです。
©「間宮兄弟」製作委員会
ストーリー上最初の大きなポイントとなるのが“カレーパーティ”です。間宮家で開催されるカレーパーティのゲストは、徹信が“明信好み”だと感じた小学校の教諭「葛原依子」と、明信が密かに好意を抱いているレンタルビデオ店店員の女子大生「本間直美」の2人でした。
勇気を出して女性を招待したそのパーティから、いつもとは違う「女性が関わってくる」間宮兄弟の日常が始まります。
©「間宮兄弟」製作委員会
カレーパーティに招待された本間直美は、仲良しの妹・夕美に報告をします。男二人暮らしの部屋に行くわけですから、直美も不安です。しかし、妹は“一緒に行こう”との姉の誘いを“やだよ”“あやしーじゃん、そんなの。”と言って断ります。
物静かで優しいけれど、気の弱い姉・直美と、振る舞いが乱暴ではあるけれど、優しくしっかり者の妹・夕美。そんな二人の話合いのシーンには“ボウルいっぱいつくったフルーチェ”が登場します。この食べ方は姉妹ならではだなーと、とても印象的な場面です。
“ボウルいっぱいつくったフルーチェ”を2人でスプーンでつついて女子会議をする様子は、姉妹の内側を見せてくれたような、瑞々しい魅力にあふれていました。
もちろん映画でもこのシーンがあります。沢尻エリカさんと北川景子さん演じる本間姉妹は、かわいいというより美しすぎましたが。
©「間宮兄弟」製作委員会
ちなみに間宮兄弟の開催したパーティに登場したのは、“エダマメやさつまあげ、茹でとうもろこし”など…間宮兄弟の普段の食卓も昭和感漂うちょっと質素なメニューが登場します。
©「間宮兄弟」製作委員会
一方で、本間姉妹が食べるシーンはファミレスやファストフードなど、「イマドキ」な雰囲気で描かれています。
©「間宮兄弟」製作委員会
『間宮兄弟』の小説や映画に触れてから、 “ボウルいっぱいつくったフルーチェ”を実現したいという誘惑が度々訪れました。しかし、これを実行するには絶対に相方が必要です。本間姉妹のように、誰かと「あーでもないこーでもない」と話しながら食べないと、魅力が半減してしまう気がするのです。
そんな思いを抱えたまま数年。長女が3才くらいの時です。誘惑に抗いきれず、「いけるんじゃないか」と思い “ボウルいっぱいつくったフルーチェ”を作ってみたことがありました。結果は、そもそもフルーツが嫌いだった長女はフルーチェにあまり興味を示さずに断念…。ほぼ一人で無理やりたくさんのフルーチェを食べる羽目に陥りました…。
妹が生まれ、長女がそこそこ大きくなった今、“ボウルいっぱいつくったフルーチェ”リベンジをしてみる良いタイミングではないかと、またひそかに思っています。その時には、女子会議ならでは、子供たちの好きな子の話なんて、聞けるのかもしれません…♪
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牛乳とまぜるだけで作ることができる果肉入りの液体ベースのデザートの素なので、健康的なフルーツ果肉入りのデザートを簡単に家庭で楽しむ事ができます。牛乳と混ぜるだけで簡単に作れます。イチゴ果肉とピューレが入ったフルーティーなおいしさです。ぷるぷるとした他にない食感です。甘すぎない後味のスッキリとしたおいしさです。
コージー・ミステリーという小説のジャンルをご存じでしょうか?ミステリーなので、事件が起こって主人公がそれを解決するのですが、その主人公が「近所のおばちゃん」や「好奇心旺盛なおねえさん」だったりするのが特徴です。代表的な作品はアガサ・クリスティーの『ミス・マープル』だといえば、ピンとくる方も多いと思います。暴力的な表現が少なく、恋愛要素や、お料理に絡ませた作品も多いので、気軽に読んで楽しめるジャンルの小説なんです。
そんなコージー・ミステリー作品の一つ、『秘密のお料理代行① そのお鍋、押収します!』では、“秘密のお料理代行”を仕事としている主人公・ライラが、事件に巻き込まれていきます。
“秘密のお料理代行”とは、お客の依頼によって、その人が作ったように見せかけた料理をライラが作り、こっそり納品するケータリング業のこと。そのお客の一人、ペット・グランディに納品した「チリコンカン」が今回の事件のきっかけになります。なんと、「チリコンカン」を食べた女性が急に倒れて死んでしまうのです。自分が作った料理だけど、ペットの名誉のためにそれを明かすことが出来ないライラ。惹かれ合っているイケメンな担当刑事・ジェイにも事実を言えないことに、さらに後ろめたさも感じて…。と、そんな感じでライラはいつの間にか事件解決のために奮闘している、といったストーリーです。
ライラは小説内でいろいろなおいしそうなお料理を作っていますが、やはり事件のきっかけとなった「チリコンカン」が気になります!毒入りは勘弁ですが。
「チリコンカン」、その存在は知っていたし、だいぶ以前になんちゃってチリコンカンは作ったこともありましたが、本格的なものはまだ食べたことがありません。そもそもチリコンカンってどこの料理屋さんに行けば食べられるんでしょう。
訳者あとがきによると、チリコンカンは“テキサス生まれのメキシコ料理”だそう。普通に南米の料理なんだろうと思っていた私はびっくりしました。アメリカで生まれたお料理なんですね!“アメリカの国民食”である、チリコンカンは“日本の家庭で作るカレーのようなもの”という説明が、アメリカにおける「チリコンカン」の存在感を分かりやすくしてくれています。
作中、ペットの作るチリコンカンは地域の人みんなを虜にしている、と書かれています。(本当はライラが作っているのですが。)もともと、アメリカ人に絶大なる人気を誇る「チリコンカン」なのに、ライラの作るチリコンカンは、よほど美味しいんでしょうね。うーん、ますます食べたい!
実は、巻末にライラのレシピ集が収録されており、もちろんチリコンカンのレシピも掲載されています。おお、作ってみようかなと思ってはみたものの、材料を見て断念。到底、我が家のキッチンにある材料では作れず、材料を揃えるだけですごい出費になりそうです。調理器具にしても、ダッチオーブンとかターキーベイスターとか無いので、どうすればいいんだろうという感じ。
ネットで検索すれば、日本仕様に作りやすくなったチリコンカンのレシピは見つかりますが、やっぱり本場のチリコンカンが食べたい!チリコンカンが食べられるお店を探しても、「チリコンカン風」が多いですし…。
“アメリカの国民食”と言われるほど、あちらではポピュラーなお料理なのに、日本では簡単にその味を楽しめないなんて…本場アメリカの味「チリコンカン」を日本で探す道は、なかなか険しいようです。
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ジュリア バックレイ
昼間は両親の不動産業を手伝う普通のOL。そんなライラにはもうひとつ別の顔があった。それは秘密のお料理代行。ちょっと訳ありの依頼人―料理下手なのを隠したい、高齢で料理できなくなったことを家族に内緒にしたい―さまざまな事情を持つお客様のもとに、美味しい料理を作ってこっそり届けるのだ。ところがある日、いつもどおり秘密の注文を受けて作ったチリコンカンがイベントで振り舞われると、最初に口にした女性が死亡してしまった。何者かが鍋に毒を混入したらしい。ライラはその料理を作ったのが自分だとすぐに警察に話そうとするものの、依頼人は秘密を明かすことを許してくれない。そのせいでライラはとんでもない窮地に追いやられてしまい!?
皆さんもう今年のクリスマスの過ごし方は決められただろうか?
恋人と過ごす方は、そろそろレストランを予約しないと、人気店は次から次に埋まってしまう頃かも。ワインやシャンパンを飲むのもよし、ターキーやピザを買って帰ってクリスマスツリーやイルミネーションで飾り付けたお家で過ごすのもよし。もちろんケーキやプレゼントだって忘れずに。
今年もロマンチックな夜になること間違いなし…クリスマスってなんて素敵な一日なんだろう…そう思っているあなた、楽しみが膨らみすぎて、油断してはいないだろうか?忘れてはいけない。あなたがワインやターキーを食べて幸せな気分になっている間、世の中には不幸なクリスマスを送る人だっている、ということを。
60~70年代のロックの王道、キンクス/Kinksの、ファーザークリスマス(Father Christmas)という曲がある。この曲の特徴は、ボーカル(主人公)の経験談が一つのストーリーとして、歌の中で語られることだ。
「ファーザー・クリスマス」とは、デパートなどにいるサンタの格好をしたおじさんのこと。日本でもデパートで、子どもたちにプレゼントを配っているおじさんを見かけるが、この曲は主人公がデパートで「ファーザー・クリスマス」となった時に起きた、ある事件の話が語られている。
クリスマスらしい綺麗な鈴の音の前奏で始まる、主人公の不幸なクリスマス・ソングがこちら。
ガキの頃、俺はサンタクロースを信じていた
それが親父だって知ってたけどね
クリスマスになったら靴下を吊るして
プレゼントを開けて喜んだものさだが前回、俺がサンタの格好をしていた時
俺はデパートの外に立っていて
子どもの強盗がやってきて、俺を襲ったんだ
そして、俺のトナカイを床に叩きつけたんだ
サンタの格好をして子どもを喜ばせるつもりが、子どもの強盗に襲われてしまうなんて、物騒すぎて、日本ではなかなか考えられない。主人公自身の幼少期の体験より、ずいぶん不幸で過激なクリスマスである。私たちだって、恋人と幸せなクリスマスを過ごすことばかりを考えて気を抜いていると、案外こういう目にあうことだってあるかもしれない。
ところでこの歌に登場する強盗というのが、子どもとはいえ相当怖いのだ。
おいサンタ、いくらか金をよこせ
そんなおもちゃでごまかせると思うなよ
もし金をやらないっていうんなら、ただじゃすまないぜ
イライラさせるな!俺はお前のパン代がもらえればいいんだ
おもちゃなんか、ぜんぶ金持ちのガキにくれてやればいいんだよ俺の弟にスティーブ・オースティン(※米国のプロレスラー)のコスチュームなんかやるな
妹に可愛いぬいぐるみなんかやるな
俺たちはジグソーパズルやゲームの中のお金なんか望んでないんだよ
俺たちが欲しいのは、おもちゃじゃない
本物の金なんだ
まだ子どもだというのに、おもちゃなんかいらない!金をよこせ!
と、堂々と言い張っているのである。
こんな子どもの強盗に襲われては、せっかくのクリスマス、美味しいものを食べる元気すらなくなってしまいそうだ。子どもたちに夢を与えるのがクリスマスのはずなのに…
だが、視点を変えてみると、私たちが呑気に幸せなクリスマスを妄想している間に、実はこの子どもたちは必死の想いで、クリスマスを生き延びようとしていることがわかる。
子どもの強盗の意外な一面があかされるのは、曲の中盤を過ぎてからのことである。
おいサンタ、いくらか金をよこせ
そんなおもちゃでごまかせると思うなよでも、俺の親父には仕事をあげて欲しいんだ
親父はたくさんの人を喰わせていかなきゃいけない
だがそれが無理だっていうなら、俺はマシンガンを持つぜ
そしたらこの通りのガキを全員震え上がらせることができるんだおいサンタ、いくらか金をよこせ!
そんなおもちゃでごまかせると思うなよ!
もし金をやらないっていうんなら、ただじゃすまないぜ
イライラさせるな!俺はお前のパン代がもらえればいいんだ
おもちゃなんか、ぜんぶ金持ちのガキにくれてやればいいんだよ
わかりいただけただろうか?子どもたちは決して、ひねくれているのではない。
明日がどうなるかわからない子どもたちにとっては、
おもちゃは「生きていくのに必要ないもの」なのである。
お金がない父親に対して、子どもはおもちゃを欲しがったりするだろうか?
むしろ、それこそひねくれ者だ。
お金がない父親に対して、なんとか仕事を与えてあげようという切実な想いと、
プレゼントをくれる余裕があるんだったら、現金をくれよ!
おもちゃなんか食べられないよ!誰のことも助けてあげられないよ!
という率直な想いを持てるのは、素直な子どもだからである。
そしてKinksは最後にこう言って、歌を締めくくる。
メリー・クリスマス
楽しい楽しい夜を過ごせよ
でも、貧しい子どもたちがいることを忘れないで
あなたがワインを飲んでいる今、その間にもね
…ワインを飲みながら、貧しい子どもたちのことを考えられる人がどれだけいるだろうか?
もちろん、だからといってワインを飲むのを自粛したり、子どもにプレゼントをあげるのをやめたりする必要はないだろう。
だが、ワインを飲めるのも、ケーキを食べられるのも、恋人と過ごせるのも、子どもにプレゼントをあげられるのも、あなたが今健康で、働けていて、お金を持っているから。それがこの世でどんなに素晴らしいことか、実感して、感謝して、じゅうぶんにクリスマスを楽しんでほしいと私は思う。そうすれば、ワインの味もケーキの味もターキーの味も、より一層美味しいものになるだろう。
毎年訪れるクリスマスだからこそ、忘れてはいけないことがある。今年のクリスマスは、家族と、友人と、恋人と、そのことを今一度確認してみてはいかがだろうか?
きっと、素晴らしい夜になるはずです。
『きりこについて』の主人公は相当“ぶす”な女の子「きりこ」。どのくらい“ぶす”かというと、本文の中で“ぶす”という文字にボールド(太字)がかかるくらい“ぶす”なのです。“ブス”ではなく“ぶす”とひらがな表記にしているところにも、きりこの“ぶす”さ加減が表れているような気がします。
著者の西加奈子が書くのは、“ぶす”なきりこの少女時代から20代半ばまで。かなり意外な結末と想像通りな結末が、ごちゃ混ぜになった様な不思議な本なのです。
きりこが小学生時代にこよなく愛する食べ物が「白玉」です。
どのくらい好きかというのは、給食に白玉が登場した時の説明がすべてを物語っています。
口に含み、噛まずに、舌の下や奥歯と頬の間で慈しみ、五限目が始まる頃まで置いておくことが、きりこにとって至上の喜びであった。
…なんとなく、美しい日本語で書かれていて騙されそうになりますが、きりこの白玉の食べ方、きたない!!
さらに、口の中にある白玉を友だちに見せびらかすなんてことも、やらかしています。
時間が経ってもなお張りを失わない、白玉のエロティックな、舌触り!
って、さすがの表現というか、白玉のエロティックさに、思わず「そうか」と納得しそうになりましたが、これ、自分の子どもがしていたら、確実に叱りつけるヤツだわ!と思いながら読んでいました。
きりこは白玉が給食として出たある日、白玉に夢中になり過ぎて、昼休みに皆に「シロツメクサ摘み」をやろうと言おうと思っていたのに、出遅れてしまいます。
きりこが気づいた時には、皆は運動場で「長縄跳び」をしていたのです。
長縄跳びをしている皆に「シロツメクサ摘みやろうや!」(きりこは関西弁です)と言いに行くわけですが、皆は長縄跳びに夢中で聞いてくれません。
そこで、思わず大声を出してしまい、案の定大切な白玉がポンと口から出てしまいます。
うちの可愛い可愛い、白玉……。
と打ちひしがれたきりこは涙をこらえながら、こういうのです。
お墓に埋めたるわな。
そこまで溺愛されているとは!何て幸せな白玉でしょうか。
私なら、落とした白玉のお墓を作るなんて、思いつきもしません。
きたない!とか思って申し訳ない気持ちになりました。
まぁ、その直後、お墓を作ろうと体育館裏に移動したきりこは、後に大切な相棒となる猫の「ラムセス2世」と出会い、
白玉をぽいっと、地面に投げ捨てた。
わけですが。
これは、愛してやまない白玉を投げ捨てることで、ラムセス2世との出会いの衝撃を表現しているのか、ただ単に「大好きな白玉を落としてしまって、かわいそうな自分」の世界から目を醒ましただけなのかは分かりませんが、きりこにとって白玉はかけがえのない相棒と出会うきっかけになった食べ物であることは間違いありません。
子どもがしてたら叱る、といいましたが、自分の好きな食べ物をずっと口に含む食べ方って、子どもの頃しませんでしたか?
思い起こせば子どもの頃、私はアーモンドチョコレートのアーモンドをずっと口に含んでいました。
我が家の子どもたちはグミで実行しています。
見つけ次第、注意しますが、いっこうに直る気配はありません。
自分も思い当たる節がありすぎるので、あまり強くも言えないですよね。
今度からは、大好きな食べ物の味をずっと感じていたいんだな、と大きな心で見守っておきます。
そして、もし口からポロリと落としてしまったら、いっしょにお墓を作ってあげようと思います。
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西 加奈子
きりこは「ぶす」な女の子。人の言葉がわかる、とても賢い黒猫をひろった。美しいってどういうこと? 生きるってつらいこと? きりこがみつけた世の中でいちばん大切なこと。