ヤミー!-自己満足 食・文化メディア | ヤミー!(yummy!)は、おいしいが一気に読めちゃう飯テロWEBマガジン!

【戦国武将シリーズ】たった一代で中国統一!毛利元就の強さの秘密はある食べ物にあった!

 

暑い日が続いています。先日クーラーのせいか夏風邪を引いてしまい

2週間ほど経っても咳が止まらなくて難儀しています。

40手前になると風邪が治るのも時間かかるし物忘れも多くなって

新しいことを学ぶのも大変でつくづく年は取りたくないなぁ…と思いつつ

歴史の英雄たちは年を重ねても偉業を成し遂げているので

自分も見習わなければな、と思う次第です。

001

 

年を重ねて尚偉業を成し遂げた人物に

「1本の矢は簡単に折れるが3本の矢は折れない」 と言う格言も有名な

毛利元就がいます。

002

 

毛利元就は安芸国という広島西部の小さな土地の領主から

たった一代で中国地方のほぼ全域を支配するようになった大大名です。

彼の人生は困難と波乱に満ちたものでした。

 

1506年、父、弘元が酒が原因で急逝すると家臣に騙され元就は300貫の領土を横領され

齢9歳の時にお城を追い出される、という憂き目を見ます。

その後紆余曲折があり27歳になった元就は毛利本家の家督を継ぎます。

 

まだまだ弱小勢力の毛利はその後近辺諸国との地道な戦に加え、

子供達を諸勢力に嫁がせることで勢力を拡大していきます。

 

この婚姻を駆使した外交はヤリ手な元就を語る上で欠かせない謀略の1つです。

 

元就は自国の不利を間諜と虚言を用いた謀略で補いました。

厳島の戦いでは 毛利軍4000に対して敵の陶軍の数は20000。

 

 

・元就は「厳島の城は防備が薄く、攻められたらひとたまりもない。私の知恵の鏡も、老いて曇ってしまった」

と漏らし、スパイを通じてそれを陶軍に伝えました。

 

・さらに敵を怒らせるため、元敵軍の武将である宮里宮内、己斐直之を起用し相手を挑発する

 

・敵の重臣、江良房栄を排除するため、「房栄は毛利軍と内通している」 

と偽報を流して誅殺させた。

 

・敵と対立していた村上水軍を買収。

 

・決戦の際、第三敵国である尼子家の介入を避けるため、

山伏の姿をさせた罪人に偽文書を忍ばせた上で、尼子家の領内に斬り捨てておいた。

偽文書の内容を信じた尼子家は混乱、厳島の戦いの最中、毛利家を攻めることはできなかった

 

 

デスノートの夜神月でもここまでやらないぞ、という策略ぶりです。

これらが功を奏し毛利軍は圧倒的不利化の状況で勝利、

勢力増大に向けさらにコマを進めて行きます。

 

また元就軍は謀略だけでなく単純な戦の能力もとても優秀でした。

その強さの秘密はある戦中食にあったと言われています。

 

毛利軍を勝利に導いたスーパーフードはこちら

003

 

そう、お餅です。

 

 

元就は戦時中いつもお餅を携帯していた、と言われています。

白米食だと人によっては2,3時間で空腹になるのに対して

餅はとにかく腹持ちが良く、カロリーも高いので空腹にならず

いつも臨戦体勢でいることが可能でした。

 

固形なので持ち運びもラクで煮て良し、焼いて良し、保存も効く、と

こう言われるとまさに戦のための食材と言っても過言ではありません。

毛利軍は二百数十の戦を戦ったと言われていますが、

その勝利はこのお餅によって支えられていました。

 

そして元就は73になるまで戦場に自ら出陣していたといわれています。

年を取っても尚、精力的に偉業を成し遂げていたのです。

 

戦以外にも元就の生き様はとても精力的で元就の9男・秀包は

元就の71の時の息子(!)だといわれています。

自分より年下の叔父を持つことになった元就の孫達の心境はさぞ複雑だったことでしょう、笑

 

 

非情な謀略を駆使した元就ですが、非情に人間臭い人物で

筆マメでことあるごとに子供達長文の手紙を送りつけ

すぐに返信を要求する一面もありました。

死の少し前、息子の輝元に送った手紙の一文などには

 

「我、くたびれ果て候」 

 

と書かれたそうです。中年サラリーマンの哀愁と同じものを感じるのは気のせいでしょうか?

憎めない人物です、子供からしたら少し面倒くさい父親でしょうけど(笑)

彼が生前残した愚痴などからも人間的な魅力が伝わって来ます。

謀略を駆使しつつもどこか人間味があることが元就の人気の秘密なのでしょう。

自分も加齢を愚痴ってばかりいないで元就のように自分の成すことを成し遂げたいと強く思います。

 

by tori

 

 

ページトップ