【シリーズ戦国武将】 真田幸村、悲しき兄との別れとこねつけ餅
人生で避けて通れない辛い出来事の1つに別れがあります。
恋人との別れ、同級生との別れ、死別のよる別れ…、
人は生きることとは別れの連続といっても過言ではないかもしれません。
別れは悲しいものだからこそ一緒にいる時間は何よりも輝くし、
一緒にいた時の想い出や記憶はかけがえのない物になるのだと思います。
今日は戦国武将との悲しい別れとそれにまつわる食のエピソードをひとつ、紹介したいと思います。
真田幸村
戦国最後の大戦、大阪の陣。
真田幸村は豊臣側、幸村の兄信之は徳川側、と兄弟同士がそれぞれ敵対する陣に所属していました。
これは徳川が勝っても豊臣が勝っても真田家は存続できる、という父真田晶幸の計略によるものでした。
「お家存続のためとはいえ、兄弟同士が戦うことになるかもしれないのに…」と自分なんかは思ってしまうわけですが
そもそも現代社会の価値観で死ぬか生きるかの戦国時代を計ることは出来ません。
話を戻すと、この「大伏の別れ」と言われる決断によって敵味方に分かれることになった真田兄弟ですが、出来れば兄弟とは戦いたくないと互いに思っていました。
大阪、夏の陣
幸い兄弟同士で直接刃を交えることもなく、戦は徳川側の勝利に終わろうとしていましたが兄弟同士の戦いは回避できたものの、豊臣軍に属する幸村には後がありません。
このまま豊臣のために戦い、そして果てる運命は決して避けられないものでした。
覚悟を決めた幸村は最後に兄信之の屋敷を密かに訪れ二人は別れの盃を交わします。
互いに今生の別れであることは察しながら酒を飲む2人…。
そして信之は最後の餞別に冷えた米を餅にし、それに味噌を塗り幸村に渡します。
その餅こそ、当時から長野(信濃)で食べられていた「こねつけ餅」でした。
そしてその数日後、幸村は徳川へ大特攻を仕掛け戦場で命を落としました。
最後に幸村がどんな気持ちでこの餅を食したのか…想像もつきません。
ひょっとしたら少年時代の兄との楽しい記憶を思い出していたかもしれませんね。
信濃(今の長野県)は内陸にあり水は豊富でなかったので米は貴重な食べ物でした。
なので米に小麦粉を足したものを焼くことで腹の足しにしていたのが起源と言われています。
そんなこねつけ餅ですが、長野県松代市にある真田邸や真田宝物館の近くで商品化されたものが売られています。
もし上田城などに行った際は足を延ばしてみてはいかがでしょうか?
また家で作る場合も作り方は非常にシンプルです。
1、米と小麦を半々混ぜる
2、クルミ味噌を塗る
(昔は餅の表面に塗っていましたが最近はおにぎりの具のように餅の中に餅を入れるのがスタンダードです)
3、家庭用蒸し機で蒸す(電子レンジだとムラが出来てしまいます)
4、薄く油を敷いたフライパンで餅の表面を色が変わる程度に焼く
これなら家で作れるし、夜食やおやつにもピッタリですね。
お餅を食べながら家のため、主君のため、命も兄との別れもいとわず信念を貫き戦った男…。
そんな幸村の気持ちを想像してみるのも「オツ」かもしれません。
Written by tori
その他の記事もぜひご覧ください!